2020/07/26
「不自然な東京の地面について」下を向いて歩こう#9・東京

梅雨の見本のような梅雨。よくもまあ飽きることなく降り続ける雨、雨、雨。雨に強い透水性コンクリートも流石に工期延長を迫られ実績記事もいよいよ更新できない。そんなある日の東京。どうしてテクノロジーはあるのに、世界の景色は変わらないのだろう。
梅雨時期の東京都心部の地面
所用で訪ねた東京都新日本橋の街路。
オフィス街。
雨上がりでこの状態だから大雨の時は歩行できるエリアもさらに狭くなるはずだ。
東京の大地は全て「コンクリート」「アスファルト」、わずかばかりの「植栽」のいずれかで覆われている。
植栽は限定的で、大半は建物(コンクリート)、舗装(アスファルト)、または土木構造物(排水設備など)で蓋されている。
蓋された地面は雨水を吸い込み地下水系に還元することができない。
だから、道路には勾配が付けられてこちらもコンクリートで作られた側溝(排水設備)に水を誘導するようになっている。
誘導された水は排水溝から河川、そして太洋に「廃棄」される。
それは貴重な水資源だ。
さらにその舗装は数年の供用(車両の乗り入れや歩行による踏圧)で不陸(凹凸)が発生し水たまりとなる。
雨の日、湿気でただでさえ鬱陶しいのに足元が水浸しでイライラも募る。
人類の歴史からすればほんの瞬きくらいの一瞬、100年と言う短期間で人類は爆発的な拡大(肥大)を遂げた。
もはや僕たちにとって地面は舗装されているのが当たり前。
大雨が降っても、「排水設備が排水する」のが当たり前。
排水設備が排水できないような雨は「想定外」。
自然は支配可能な対象物。
生態系ですら統制が可能だと言う思い上がり。
自分たちが生態系の一部であることをいつしか忘れてしまった。
被覆(蓋)された大地が当たり前。
主にアスファルトに蓋された大地は熱を溜める。
夜でも熱気が抜けないのは室外機の熱風だけのせいじゃない。
その熱された大地はヒートアイランド現象と言って乱気流を生み出し局地的な大雨(ゲリラ豪雨)をもたらす。
その大雨は大地に水を還元する能力を失った大地の上に容赦なく降りかかる。
昨今の冠水被害は僕たち人類に何を伝えようとしているだろう。
「想定外の大雨」
「想定レベルを一段階引き上げよう」
さらに山河を削りコンクリートで護岸や排水設備を築造、つまりはさらに大きな力で自然を支配しようとするのか。
削られ、蓋された大地はさらに暴れ狂う。
拡大再生産を前提としたコンクリート産業はさらに大地を汚す。
水資源はさらに貴重なものとなり人々が暮らせる場所はさらに減少する。
コンクリートを作って生計を立てている立場から変な話かもしれないが、多くの人々は空調が統制されたコンクリートの箱の中で一生を過ごすようになってしまった。
静岡県伊豆地方という長閑な地域に暮らす僕からしたら、時に訪れる大都会は不自然でしかない。
そんな不自然で狭く囲われた東京を今は感染症が猛威を振るう。
人々はさらに疲弊していく。
コンクリートを鬻ぐ立場でありながら現代の営みを眺めているとこのまま拡大再生産を前提とした産業に未来があるようには思えない。
それは、コンクリートだけでなく、あらゆる産業に同様のことが言えるのかもしれない。
ここ100年で世界の景色を一変させてしまった営み。
有限な惑星の上で無限の肥大を続けようとするのか。
それとも、支配的ではない生態系の一員としての自分たちを自覚し調和を選択するのか。
現在の産業構造(縦割り、階層)は支配・統制を前提としている以上、新しい世界で求められる文脈を理解することはないだろう。
透水性コンクリートをはじめとしたテクノロジーはすでに飽和している。
ただ、それらは適切に見出されることなく、これまでの文脈(拡大再生産・支配統制)に沿った既存設計は今日も水たまりや冠水を各地で生み出している。
テクノロジーは飽和している。
それらはそれだけではイノベーションを起こせない。
「21世紀の最も輝かしい躍進は、テクノロジーではなく、人間とは何か、と言うコンセプトを拡大することによって成し遂げられるだろう。」(ジョン・ネイスビッツ)
今こそ僕たちは人間の本質を冷静に見つめその姿に戻ろうとする時期なのかもしれない。
宮本充也