2021/03/26
「地球に蓋しないってことなら舗装しなくても良いんじゃないの?」

今年に入ってから一気にYouTuberづいている。正月から毎月6本ペースでドライテック講座の収録をしリリースしている。人気シリーズ「《舗装っていろいろあるな》ドライテックとその他舗装の徹底比較」。未舗装、砂利敷き。「地球に蓋しないってことなら舗装しなくても良いんじゃないの?」
未舗装 vs ドライテック
透水性コンクリートドライテック講座 #9 ドライテックとインターロッキング
透水性コンクリートドライテック講座 #10 ドライテックと真砂土舗装
透水性コンクリートドライテック講座 #11 スタンプコンクリート・ステンシルコンクリートと比較
透水性コンクリートドライテック講座 #12 天然石舗装・樹脂舗装と比較
《舗装っていろいろあるな》ドライテックとその他舗装の徹底比較
昨日もエクスショップで4本の収録を終えた。
なんか喋ってるうちに熱くなってくるのだ。
「宮本さん、インターロッキングに親でも殺されたんですか?」
そのくらい、敵意丸出しでその他補装材をディスり倒す。
これはカッコよくいうと、コンプレックス。
実際のところ、逆恨み、というやつ。
ポーラスコンクリートを16年やっている。
はじめたての頃、若さを武器に猛烈に営業しまくった。
向こう見ずにどこにでも入っていった。
100発打って、まともに聞いてもらえるのは本当に少ないし、成約するのはマジで1%にもいかなかっただろう。
その時に引き合いに出される、インターロッキング、真砂土、スタンプコンクリートやステンシルコンクリート、天然石・樹脂舗装etc。
当時の僕には彼らがピカピカに見えていた。
いつかお前らと肩を並べてやる。
そして、追い抜いてやる。
全くうだつの上がらないポーラスコンクリート舗装の売り子さんとしてその怨念は時間と共に濃くなっていく。
そして、インターネットのこの時代、その抑圧された怨念は解放されることになる。
その様子は動画シリーズ「《舗装っていろいろあるな》ドライテックとその他舗装の徹底比較」を参照されたし。
「地球に蓋しないってことなら舗装しなくても良いんじゃない?」
現代は行き過ぎた成長。
人々は縄文人を見習わなければならない。
コンクリートは悪だ。
利便性は悪だ。
ミニマリスト。
物質的な豊かさを求めてはいけません。
ともすると反動としてこのような主張を掲げる人々がいる。
僕から言わせれば、「じゃあ、お前、絶対にコンビニでトイレ借りたり、ユニクロで服買うなよ」となる。
ちゃっかり現代の利便性(電気、水道、警察)を享受しておきながら、所詮金持ちへの反感程度のくせして物質的豊かさに過剰反応するエセロハスの皆さん。
質素な生活はどこかでひっそりとやってればいいのに、質素な生活を他人にまで押し付けようとする偽物。
(なんでこんなに悪口を書いているのか自分でもわかりません)
そういう連中はすぐに論調も過激になる。
「コンクリートから人へ」
そもそも実力がないのに口ばかり達者で、実際に政権与党になった途端にその空っぽぶりを露呈させた負け組政党みたいな連中。
「地球に蓋しないってことなら舗装しなくてもいいんじゃないの?」
そっちの方がお金もかからないし、自然環境とも調和しているし、ありのままでいいじゃないの、とでも言いたのだろうか。
じゃあ、お前、家とか建てるな、と言いたい。
地球にとって人類の営みが悪であるならば山にこもって原始人みたいな生き方を選べば良かろう。
(なんでこんなに悪口を書いているのか自分でもわかりません)
その手の論調は煎じ詰めれば「100年後の地球のことを考えると今すぐ集団自決しなければなりません」てことになる。
でも、僕たちは生きていかなければならないのだ。
生きていくためには電気も、水道も、コンクリートも、家も、庭、そして舗装も必要なのだ。
舗装をしなければあっという間に草むらになることだろう。
ヘビやムカデ、蚊が大量発生する。
ロハスなあなたなら蚊に刺されようとも、蛇に噛まれようとも、ムカデが顔面を歩いたとしても平然としていられるかもしれないが、大半の「普通の人々」はそんな生活は嫌だ。
だから、舗装をしなければならない。
雨も降れば、舗装をしていない地面はズブズブぬかるみになってしまう。
あなたは原始人ではないから通勤に革靴を履いたりしているのではないか。
革靴が朝から泥まみれでも、ロハスなあなたなら眉一つ動かさず平然としていられるのかもしれない。
ロハスなあなたなら電車とかバスのような乗り物はCO2を発生させてしまうから乗らないかもしれないし、そのことで遅刻して上司に咎められても「人類は地球にとって悪なのです」と反論するのかもしれない。
ただ、世間一般の人たちは、雨の日にはぬかるまない舗装を必要としているのだ。
それが、人々が集積し秩序を求める社会というものだ。
社会に適合できなければ橋の下とかでテント貼ってるガチロハスな人になるしかないのだ。
結論、ファッションでロハスやエコを唱える奴がムカつく
所詮、おままごと。
人にどう思われたいかの延長でしかない。
エゴを綺麗にデコレーションしたファッションとしてのエコ・ロハス、小物の類。
ナイロンの買い物袋をやめてエコバックにしました、くらいは可愛いし全然OK。
でも、何でもかんでも、エコエコエコと全身をロハスで守り固め、他人にまでそれを強制しようとする人は、単なる貧乏人としか思えない。
金持ちに対する嫉妬を綺麗にデコレーションしたエセロハス野郎。
ミニマリストとかほざいている向きもあるようだが、「ごめんなさい、お金がないので必要最低限の生活してます、本当はちゃんと稼ぎたいと思っています」と本音を言え。
ダメな自分を正当化してんじゃねえ。
事実として人々は経済活動を通して社会に参画している。
本来のエコ・ロハスは、その経済活動、つまりその人、その企業の専門性を生かしたビジネスを通して新しいモデルを構築し、SDG's、ESG評価に耐えられる産業のあり方を創造することだ。
「私はプラスチックのストローをやめたの」程度はエコでもロハスでもなんでもない。
単なる欺瞞だ。
「縄文人の生き方に学ぶべきだ」
1人でやっててください。
他人を巻き込むな。
僕は現代の利便性を追い求めながら、それでいて有限なる惑星がいつまでも人々と共存できるような産業モデルをプロとして構築するべく努力していきたい。
それが僕たちのコーポレートステートメント。
大地を削らない、汚さない、蓋しない、CO2を収容するコンクリート。
そんな産業を作ることにコミットすべきだ。
未舗装でいいはずがない。
宮本充也