2018/12/01
「【島根】森山翁がまだ幼子だった頃の地面は」

森山翁は島根の地面を少しずつ変えている。森山翁がまだ幼子だった頃。島根の地面はきっとこんなじゃなかったはずだ。舗装に覆われない地表は雨が降れば水を吸収し地下水脈はふんだんな湧水で人々の暮らしを豊かにしていたはずだ。森山翁の挑戦。
【島根】森山翁がまだ幼子だったころの地面は
島根県に情熱を滾らせる熱い漢がいる。元生コン工場社長森山精二氏、その人である。
森山翁が産声を挙げた頃(1946年9月)の島根の地面はどんなだったろう?
きっと地面は草がたくましく生える自然の表土だったに違いない。
森山翁の孤独な挑戦。
なぜか猛烈に忙しい時にお電話をくださる。
「おっ。宮本スーパーマン。今はどこにいますか?」
いつも僕のことをスーパーマンと呼んでくださる。
そんな森山翁は常に次世代を担う生コン人たちを鼓舞する。
その鼓舞のお電話はなぜか忙しい時に限ってかかってくる。
昨日も新幹線に乗って移動している時にかかってきた。
出ないわけにはいかない。
そそくさとデッキに出ては電波が非常に悪く、
森山翁のただでさえ早口で訛りのある聞き取りづらい話に、
「はい。そうですね。そうですね」
と繰り返し相槌を打つ。
内容がわからなくても森山翁のことだ。
きっと正しいことをおっしゃっているに違いない。
そんな確信があるのだ。
今回で6例目。島根透水性コンクリートの孤独な闘い。
森山翁、いわば引退された身。
それほど仕事に力を注がなくとも優雅に暮らせるお立場。
なのに、とにかく熱い。
透水性コンクリートの普及に情熱を注ぎ込んでいる。
1946年森山翁が産声をあげた頃。
きっと島根の地面は今と違ってほとんど舗装されていなかったに違いない。
自然な循環がそこにはあったはずだ。
終戦後の復興で幼少期を過ごした森山翁。
そのガッツは今の若いもんには到底真似ができない。
孤独に。
破竹の勢いで。
島根の地面を自然な形に変えようとしている。
森山翁のお気持ちに応えるのは今度は僕たちの番だ。
引退して仕事から退いても。
それでも、大志を失わない。
正しさを貫くその姿勢。
熱すぎてたまに周囲を困らせるくらいだ。
そんな情熱にお応えしたい。
島根。
森山翁がまだ子供だった頃の地面に。
少しずつ少しずつ変えていこう。
日本の地面が変わっていく。
(透水性コンクリートは自然由来の材料で水を地下水脈に還元できる舗装材として注目されている)
宮本充也