2019/05/19
「凝った庭なんかいらない。草が生えなきゃいい。それでももし地球環境に貢献したらなおのこといい」

この価値は誰に届けられるべきなんだろうか。ハイエンドやこだわりの強い特定の人たちに届けるのか。本気で社会や環境に貢献したいのなら。目指すは「2:6:2の6の人たち」。
「届けるべきは2:6:2の6の人たち」透水性コンクリート
目的。
有名設計事務所に見出されることだろうか。
権威から評価される。
アワードを受賞する。
透水性コンクリートが目指すべきあり方はそんなものだろうか。
200年前の何にも覆われていなかった地面を取り戻す。
透水性コンクリートの最大の貢献は何か。
それは、特定の金持ちの自宅に敷設されることか。
「あちらの豪邸の舗装は透水性コンクリートなんですって」
と羨まれることがゴールか。
とある人の話を聞いていて雷に打たれたように気付かされた。
僕たちが届けるべき市場は、
・こだわりの強い
・特別な
2:6:2のトップ2割の領域ではない。
圧倒的な物量が広がる2:6:2の6割。
つまり、普通の人たちの普通の暮らしが届けられるべき市場だ。
一般的な賃金で一般的な生計を立てる人たちに届ける。
そんな、特別ではない、当たり前の価値になってこそ。
透水性コンクリートはその本来の貢献に近づく。
街中でどこにでも見つけることのできる駐車場の舗装としての透水性コンクリートになるためには?
「凝った庭なんかいらない。草が生えなきゃいい。それでももし地球環境に貢献したらなおのこといい」
2:6:2の6の人たちは凝った庭なんかいらない。
草が生えなきゃいい。
それでも、住空間の外(=庭)。
つまり、日本の景色にお金を払う意志を持っている人たち。
その人たちに、
「透水性コンクリートは特別なんで他当たってください」
なんて言わない。
納期も、価格も、品質も。
2:6:2の6の人たちが選び満足できるものになる。
その土間コンクリートを「選ぶ」ことで、「自然な地面」に貢献したというほんのかすかな意義を感じてもらえたらいい。
その生涯を水たまりや水はけに苛まれることもなく暮らしてほしい。
200年前の何にも覆われていなかった自然な地面を意識のほんの片隅に置いてもらえれば嬉しい。
そんな風に透水性コンクリートが水や空気のように気にもされない存在になること。
舗装の常識になること。
そのことが社会を変革し、人と自然が調和する環境をも取り戻すことができる。
1年に100万戸の新築住宅の脇にある30m2の常識が変化したら?
今は水を透さないコンクリートやアスファルトが大半。
もし、この領域の常識を変えたなら。
3,000万m2(3,000ha)
の仮に6割が透水性コンクリートになったなら。
1,800haの地面が降雨を吸い込むことになる。
1年で東京ドーム(4.7ha)約383個分の地面が200年前の自然な地面に戻る。
大半の降雨は地下水系に還元される。
枯れていた井戸に水が戻る。
湧き水が復活する。
2:6:2の6の認識が変わるだけで。
1年、2年、時間の経過とともに大半の地面が活力を取り戻す。
地下水系が豊かさを取り戻す。
人と環境が調和する新しい世界が立ち現れる。
これを机上論で終わらせていいのだろうか。
僕たちの使命は世界が求めている真実に耳を傾けること。
この200年で僕たちが不遜にも身につけてしまった「自然を支配する」という発想が徹底的に変えてしまった環境から目を背けない。
・ヒートアイランド現象
・ゲリラ豪雨
・冠水被害
それらは環境から僕たちに送られているシグナル。
目を背けなければやるべきことは自ずとわかってくるはずだ。
目指すべき市場と顧客は2:6:2の6。
普通の人たちが普通に選ぶことのできる透水性コンクリートという価値を確立する。
どこかの誰か、特定の金持ち、そんな人たちのための透水性コンクリートではない。
「2:6:2の6は日本を美しくしようとする人たち」
その人が語る夢に耽りたいと思う。
自分自身の使命感再認識し、それを全力で形にすべく、決意を新たにしている。
絶対に日本の地面(舗装)の常識を変える。
生コンでいいこと。
宮本充也