2015/12/22
「打ちっぱなしの向こうには」イキリペアーデザインとの出会い
隠したり嘘ついたり誤魔化したりすることと混同されてしまいがちですが、全くそんなことはない。
打ちっ放しの色合わせ補修という分野の技術があります。
通常の型枠を始め杉板や普通ベニアで打ち上げた肌の補修後も局所的に手を加え存在感と静謐を損なうことなく景観として送り出す表現。
普段生活している中ではきっと意識されることはないでしょう。
僕たち本業の生コンクリートだって、きっと一般には1日を過ごす中で意識されることなんてほとんどないでしょうから、コンクリートの打ち肌に関するこの技術のことをご存知な人は相当マニアックでハイセンスなお方かと。
憧れたことないですか?
コンクリートの打ちっぱなし。
素材であり構造であり仕上げとされる、型枠の中に充溢した生コンクリートが時を経て剥き出しにされたそれは、特に私たち日本人の心を虜にしてやまない表現です。
学生だった時代から、生コンのことをよく知らない頃から、僕は打ちっぱなしコンクリートが好きでした。理由はありません。ただただかっこいいから。
以前もご紹介しました色合わせという技術はひとえにコンクリートの打ち肌を隠して偽物を見せているのではありません。
コンクリートという水の次に流通する素材が持つ本当の力をプロデュースする技術です。
運命のような出会いと確信しています。
伊喜さんと長岡生コンが出会ったのも、世の中が本当のコンクリートを求めていたからこそと本気で思っています。
コンクリートの持つそのままの魅力は誰にも邪魔はさせません。
素材であり構造であり仕上げ。
木造建築文化日本にすんなりと溶け込んだ建築表現「打ちっぱなしコンクリート」は時代とともに歪められ、今や目を覆いたくなるような偽物の打ちっぱなしで街は溢れかえっています。
建築も土木もインフラ全てがそうであるように、私たち生コンクリートの仕事もあまり意識されることなんてありません。
「ありがとう」
なんて言われる職種ではない。それは、65年間ただただ専門家を相手に特殊なコミュニティを形成し俗世間と隔絶してしまっていたから。
ただ、ここにきて私たちが提供する、している価値はただならぬ価値を秘めていることもわかってきました。
舞台裏の仕事がそうであるように、私たちの仕事は一般には普段気にもとめられない。
生活に溶け込み美しすぎて、またはあまりにも身近すぎる「打ちっぱなし」は、私たち生コンクリートを日々作り続ける生コン製造者とそれを施工する技術者・作業員と、そしてその価値をもっとも知る伊喜さんをはじめとする芸術家の手によって初めて「あたりまえ」になっています。
憧れの打ちっぱなしは「やりっぱなし」とは違います。
本当の素材の迫力を知る(あるいは感覚として理解されている)全ての方にコンクリートの本当の価値をお届けすることも私たち長岡生コン、そしてGNN元気な生コンネットワークの使命と思って毎日楽しく仕事に勤しんでいます。
専務取締役 宮本充也