2020/12/29
【長野】「コンクリートはひび割れるし、色むらも出る、という前提が大事」

長野県の建築現場。開口部のこぐち上部で杉板型枠の模様(浮造り、本実)が打ち肌に転写しなかったため、一部模様を人工的に復元(色合わせ補修)したもの。その他、数カ所施工に同様の加工が施され、見事な杉板打放しコンクリート建築が完成した。
あなたの見ている打ち放しコンクリート実は「絵」かも
Beforeでわかるように、開口部のこぐち上部(軒裏?建築用語は専門すぎて僕もしっかり把握していないくらいだ)は杉板型枠の模様が転写されていない。
壁部分はしっかりと転写され、美しい杉板模様、本実(ほんざね)・浮造り(うづくり)ができている。
そこだけ、不自然。
全体的に、妙な感じ。
この箇所以外にも数箇所、同様に杉板模様が転写されない箇所があり、この建築現場では大きな問題となっていたそうだ。
そりゃ、そうだ。
打ち放しコンクリート建築は現代の建築にあって、非常に管理が難しく、かつ高価なものとなっている。
施主(発注者)の期待値・要求も非常に高い。
大体、現場管理者で打ち放しコンクリート(それも杉板などのような特殊型枠)の案件を引いてしまった人の心理は「やべえ、ババひいた」である。
そこに、このトラブル。
打ち放し色合わせと呼ばれるこの特殊技法は生コンポータルが届ける「生コンでいいこと」の一つ。
そもそも、従来生コンはその取り扱う人々にとって決して「いいこと」ばかりではなかった。
日頃からdisりまくっている土間コンもそうだが、ひび割れや色むらなど、兎角施主との間でトラブルをたくさん巻き起こす。
それは、建設現場にあって唯一「半製品」の形で運び込まれ、現場で多くの変数にさらされながら型枠に流し込まれて成形されるプロダクトであることが原因だ。
こんな部品、他の産業に類を見ない。
映像でもわかるように、単なるブロック塀だって打ち放しコンクリートになってしまう。
つまり、この技法によれば、いかなる壁もうちはなしコンクリートにしてしまうことができる。
上級者の施工によれば、担い手たる僕たちですら、それが打ち放しコンクリートではないことに気づかないくらいだ。
ドライテックでいつもいっていることだが、ひび割れも「見えなければ、問題にならない」となる。
(もちろん、鉄筋コンクリートの機能上の問題について補修などを施した上で)。
だから、こうした技法やスキルを提供することは、生コン特有の不都合を解消する。
つまり、「生コンでいいこと」となる。
コンクリートはひび割れるし、色むらもでる、という前提が大事。
僕は職業病だから、常にコンクリートに目がいってしまう。
一般の方々はなかなかコンクリートをしげしげと眺める機会もそうないだろう。
実は、この技法、結構地味にあちこちで採用されている。
「あなたの見ているコンクリート打ち放し実は絵かも」
人知れずひび割れや色むらなど「不具合」の発生した打ち放しコンクリートは処置されている。
でも、この技法、なかなか一般化しない。
ラストワンマイルでこの技法に携わっている人たちもそれほど報われない。
目立たない。
どちらかというと、「いなかったことにしてもらえませんか」みたいな感じで処遇されている。
なぜか?
「コンクリートに発生したひび割れとか色むら、あるいは施工不良は恥ずかしいからあまり表沙汰にしたくない」
という現場の心理。
その前提。
これが、僕は間違っていると思うのだ。
まずは、担い手として堂々と、「コンクリートにひび割れや、色むらは出るもんです」と胸を張って発注者らへ理解を求めるべきだ。
そもそも、ひび割れの出ないコンクリートなんて絶対にできない、というのが専門家の一致した見解だ。
身近にコンクリートの専門家がいたら聞いてみるといい。
いつしか、この前提が「ええかっこしい」のポンコツ営業マンか誰かのせいで「うちはひび割れも色むらもないコンクリートを作ります」くらいのアピールポイントになってしまって、業界が自分自身で自分を苦しめているのだ。
「コンクリートはひび割れるし、色むらも出る」
という共通理解さえ生まれれば、この「生コンでいいこと」色合わせという技法も白日の元に晒され、より多くの人々を苦しみから解放し、市民権を得ることでさらに市場が拡大し、多くの人々に喜びを届けることができるようになるはずだ。
物事の前提が間違っていると、その上に何を積み重ねても、全ては砂上の楼閣だ。
この技法では、本当に多くの人たちが、泣くほど喜んでくれる。
「このままだったら、僕クビになってました」
「ああ、もっと早く来てほしかった。先週うちの若い現場監督が退職してしまいました」
こんなことが本当にあるのだから。
その人たちを助けることができるのだから。
知らない、を、知っている、に変えることも大切。
だけど、生コンポータルとしては、建設を覆っている「コンクリートのひび割れや色むらはけしからん」というこの前提を覆すことに力を注ぐべきなのかもしれない。
そうすることで、市場は生まれる。
そして、「生コンでいいこと」はもっともっと多くの人々に喜びを届けることになる。
大地を削らない、汚さない、蓋しないコンクリート。
自然と人が調和する世界を具現化するコンクリートが本当に普及し始めるのかも知れない。
宮本充也