長岡生コンクリート

2016/08/27

「自然→本質とともにあるコンクリート打ちっ放し」

「自然→本質とともにあるコンクリート打ちっ放し」

Natureという英語は「自然」と訳されるけれど、

他にも、

「根性」

「性質」

「本質」

みたいな風に訳される場合がある。

つまり、自然というのはなにか一番奥深くにある価値をさしているようなものだと思う。

普遍の真理とも訳せるのかもしれない。


生コンクリートはそういった文脈で考えると、

構成材料がすべて自然天然もの(→石灰石・石ころが加工されて生コンになっている)

であり、

つまり自然そのものが形を変えたもの

と定義づけることもできる。

チープな学術論を傾けるわけじゃないが、

枯山水などの造園表現に表れているように、

「日本人は自然とともにあることをよしとする」

民族であると思う。

西洋のように、左右対称表現によって自然を管理する民族性に比べて、

常に日本人は自然とともにあることを選んできた。

もしかしたら日本人が打ちっ放しコンクリートをこよなく愛している理由と関係があるのかもしれない。


打ちっ放しコンクリートは唯一の、

「構造部材であり意匠材(仕上げ材)」

の表現と言われれている。

ucippanasikonn.jpg

ここでややこしいのが、

自然とともにあることを選ぶ日本人でも、

uchippanasi.jpg

こんなんじゃ、絶対に許してくれない。

だから、僕たちみたいな打ちっ放しコンクリートの特殊補修工法を業とする存在が多くある。

ここで大切なのは、

自然をきちんと理解しそれを表現する能力

となる。

たとえば、打ちっ放し補修とはいってもみんな型枠を外した新鮮な新しい表面ばかりじゃない。

naturetoha.jpg

築20年を経過した打ちっ放しコンクリートは汚れるというよりは、

「いいかんじで古くなる」

というケースだってある。

専門的な話になるが、これから「今ある建物をいかに長く使うか」が重要になる時代。

そのためにはコンクリート診断といって、人間の体で表現すると、

・痛い思いして注射したり

・喉から胃カメラを突っ込まれたり

・場合によってはおなかあけられたり

写真のように、


「コンクリート表面を傷つける場合がある」

(コア抜きとか色々)

傷つけたままにしておけない(おなかあけたままにしないのと同じ)ため、

傷ついたコンクリートは補修される→新しい箇所

そして、もともとのコンクリート表面は、

「いいかんじで古くなっている」

わけだから、

コンクリート打ちっ放し特殊補修を施したところだけ、

「やけに新しくぴかぴか」

になっちゃう。

使い古された価値とかある程度古ぼけたほうが高額

というのは、どの世界にもあるわけで、

打ちっ放しコンクリートにも

「程よく使い古されていい感じにぼけた良さ」

という非常に抽象的な価値がある。


なんでもかんでもぴっかぴかにきれいにするのがいい

というのは、確実に間違った考え方。

押しつけだろう。

ある人には「はぁ?なにこれ。まじ意味わかんねー」みたいな打ちっ放しが、

別のある人には、「この霞が漂うかのような古めかしさがたまらなくいいよね」となる。

そして、打ちっ放しコンクリートの特殊補修を営む僕たちに求められる能力は、

事の本質(自然)をきちんと理解してそれを表現できる資質だと思う。

それができるのがGNN元気な生コンネットワークで取り組んでいる、


「生コン屋のコンクリート補修」


ということになる。

コンクリートのすべての表情を知っている僕たちだからこそできることだ。


宮本充也

宮本 充也

主な著者
宮本充也

1級(舗装・造園・建築・土木)施工管理技士/コンクリート主任技士・診断士/砂利採取業務主任者/採石業務管理者

危険物取扱責任者(乙4)/毒物劇物取扱責任者/日本農業検定(1級)/エクステリアプランナー(2級)/運転免許証(大型・中型)

勉強中の資格:宅建士