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ベネチア×伊豆プロジェクト
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"In 2012 we started this project called Venezia x Izu, to help creating a connection not only between Venice and Izu, but also between Izu and the rest of the World. In 2020 Japan will host the Olympic Games and Izu will host the cycling events at Shuzenji Velodrome. A big chance for less known local areas to become more open to foreign tourism and to build worldwide connections. Please feel free to contact us for whatever needs you should have while visiting Japan (including camping, water and electric supply)!"

Izu Peninsula, lesser known destination you must see in Japan (part 28, Back to the Tokugawa period)

Izu Peninsula, lesser known destination you must see in Japan (part 28, Back to the Tokugawa period)

On November 20 of 2018 this blog based on my personal "Izu experience" has been shown on the tv program called "the NEXT".

A very important day for me.

We started this project to connect Venezia and Izu, my first and second homes, in 2012.

I love both these places and I always try to share their beauties with the readers.

Usually I go back to Venezia with my family once a year, but for the first time since I came to live in Japan I haven't been able to go, because of the restrictions due to COVID 19.

My friends and family help me to try to stay connceted with the Venetian's everyday life but it is not easy to stay away for such a long time.

I've always been interested in history, Venetian and Japanese history too.

This time, where outsiders are not allowed to enter Japan, reminded me the historical period named Edo or Tokugawa.

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It is the period between 1603 and 1868 in the history of Japan, when Japan was under the rule of the Tokugawa shogunate.

The period was characterized by economic growth, strict social order, a stable population, internal peace and popular enjoyment of arts and culture. All the Japanese old images and drawings that we know are from that period.

It is also known for its isolationist foreign policies, even if foreign trade was encouraged in the beginning. Tokugawa Ieyasu wanted to make Edo (Tokyo) a major port, but once he learned that the Europeans favored ports in Kyushu and that China had rejected his plans for official trade, he moved to control existing trade and allowed only certain ports to handle specific kinds of commodities.

A big difference is that the shogunate perceived Christianity to be an extremely destabilizing factor, and so decided to target it. Fortunately there is not such a religious problem here anymore.

Kyushu was the most "Christian zone" of Japan and so it was targeted by the shogunate.

By 1612, the shogun's retainers and residents of Tokugawa lands had been ordered to forswear Christianity. More restrictions came in 1616 (the restriction of foreign trade to Nagasaki and Hirado, an island northwest of Kyushu, 1622 (the execution of 120 missionaries and converts), 1624 (the expulsion of the Spanish) and 1629 (the execution of thousands of Christians). Finally, the Closed Country Edict of 1635 prohibited any Japanese from traveling outside Japan or, if someone left, from ever returning. In 1636, the Dutch were restricted to Dejima, a small artificial island and thus not true Japanese soil in Nagasaki's harbor.

Only China, the Dutch East India Company and, for a short period, the English, enjoyed the right to visit Japan during this period, for commercial purposes only, and they were restricted to the Dejima port in Nagasaki. Other Europeans who landed on Japanese shores were put to death without trial.

Luckily (for us) now we are safe here and these crazy rules are not anymore in the Japanese governors minds, but we are not allowed to go back to our home countries and then come back to Japan, again. Foreign tourists and businessmen are not allowed to come here too.

This to say that it became difficult also for me to try to keep connected these two far and very different worlds. But I'll continue to do my best to do it, hoping that this sad and though period will end as soon as possible and the world can come back to the regular.

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Next year is the year of Tokyo Olympics, the last chance to have such a big and important event here in Japan.

The world needs to keep moving forward and not go back to the past, that must not be forgotten neither.

Alberto

ベネチアングラス in 伊豆・inジャパン パート4

ベネチアングラス in 伊豆・inジャパン パート4

ヴェネツィアは森のない街です。

でも、逆にすれば、森があると言われるほど地中に大量の木杭が打ち込んであります。まず最初に、街の衛生状態を確保するために共和国政府

が『水路(運河)』を決め護岸工事をしました。

水路の岸に直径20cm程、長さ2~5mの木杭(カラマツ・カシ)をカラント層(圧縮されて固くなった粘土層)に隙間なく大量に打ち込みました。

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カラント層は決して強固な地層ではありませんが、攪拌しない限りある程度の耐力が期待できる地層です(この意味ではローム層に似ています)。

木杭の頭は水面下で、常に地下水に浸っています。

木杭は常水面以下だと腐らないのです。

この木杭の上にさらに木の厚板を何層も重ねます。

その上に海水に強いイストリア石を何層もセメントで固めながら大潮時の海面よりも高い位置まで積んでいくので海面の上下で見えてくるの

はイストリア石だけです。

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ここまで基礎を造ると石造も可能な堅固な地盤になりました。ということは、15世紀以降の地盤づくりがこのレベルです。それ以前の地盤づ

くりは石の使用の少ない試行錯誤の基礎だったのでしょう。

こういった地盤づくりの技術は、基本的には古代ローマの橋脚を造る技術がベースだったのです。

現在のラグーナには、水路を確保するまで共和国政府が工事をしたが、結局住む人がいないまま放置された小島も散見されます。

ヴェネツィアでは、確保された水路(運河)の中の地盤づくり・街づくりは、司祭を中心にした「各教区の自主事業」とされました。

各教区は、ヴェネツィアの繁栄とともに競い合って建設に励んだのです(最盛期には教区数は70を超え、教区の平均構成員は1500人程)。

こうして、ヴェネツィア本島の地盤の下には、全面に無数の木杭が打たれました。確かに、逆さにすれば"森"のようです。

ヴェネツィアの街は、全島がパイルド・ラフト基礎(直接基礎+杭基礎)で造られたのと同じということがわかります。

地盤液状化対策の一つが、パイルド・ラフト基礎。だから、"世界に冠たる『海の埋立都市』ヴェネツィアは、「大地震が起きても液状化リスクはない」と言って良いのです。

石造も可能な堅固な地盤づくりができるようになった15世紀頃のヴェネツィアの地震記録を当たってみました。

・1451年2月23日午前2時に大地震

・1522年7月7日  地震

 同年7月16日 再び地震

という記録が残っています。

地震の程度は不明ですが、ヴェネツィアでも100年に1回くらいは地震が記録されるのです。

地震の被害には特に記載がないところをみると、パイルド・ラフト基礎は有効だったと考えて良いのでしょう。

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この街に生まれて、28年間住んでいました。

友達、家族がいて、家があって、同じ言葉と文化が残っている街です。

毎年、一か月で帰ってますが、今年はコロナの影響で帰れませんでした。

早く帰れる状態になりますように、祈っています。

その時までヴェネツィアの文化の一つ、ベネチアングラスの紹介をさせてもらいます。

ご興味のある方、お電話下さい:09017299891(フェラーリ・アルベルト)

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ベネチアングラス in 伊豆・inジャパン パート3

ベネチアングラス in 伊豆・inジャパン パート3

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先日、ヴェネツィアの空にもフレッチェ・トリコローリが飛んでました。

フレッチェ・トリコローリ(伊: Frecce Tricolori)は、イタリア空軍の曲技飛行隊です

名称の「フレッチェ」は「矢」を意味し、「トリコローリ」は直訳すれば「三色」、ひいては「三色旗(イタリア国旗)」を表します。

チームは9機の編隊と1機のソロで構成され、実に10機という多数の飛行機で編隊を組みます。

イタリアの6月2日は「イタリア共和国記念日」です。

イタリア共和国記念日はイタリア語で「Festa della Repubblica Italiana(フェスタ デッラ レプッブリカ イタリアーナ)」といいます。

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イタリアは正式名称を「Repubblica Italiana(レプッブリカ イタリアーナ/イタリア共和国)」といい、王政は1946年に廃止となりました。第二次世界大戦後、国民投票によって共和制(王制でない国家)に生まれ変わり、現在に至ります。

6月2日の共和国記念日は、まさに1946年に王政を続けるかどうかを問う国民投票が行われた日です。

このイベントがあるため、毎年の5月末にフレッチェ・トリコローリは21街の空を回ってパレードを行います。

今年は、コロナのせいで、以上に大変な年なのでイタリア国民のみんながいつもより感動しました。

ヴェネツィアのホテルとレストランがまだ厳しい状態になってますが、ベネチアングラス工場は少しずつ営業再開してます。

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素敵なムラーノ・ベネチアングラスが欲しいならご連絡下さいね(090-1279-9891)!

よろしくお願いします。

Alberto

ベネチアングラス in 伊豆・inジャパン パート2

ベネチアングラス in 伊豆・inジャパン パート2

この間、ヴェネツィアを宇宙から撮影した去年と今年の衛生画像を公開されました。新型コロナウイルスの流行によって有名な運河が一変した様子が浮き彫りになりました。

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約1年前の2019年4月19日の様子

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2020年4月13日の様子

新型コロナウイルスの流行が始まって以来、ヴェネツィアの運河からボートが激減した様子が捉えられています。

例年は観光客でごった返すが、今年はイタリア当局が3月8日にロックダウン(都市封鎖)を発表して以降、ほぼ人影が絶えました。

これが市内の交通状況にも影響を与えたようで、昨年4月の画像では数十隻のボートが運河に浮かぶ様子が見て取れるが、先月の画像ではボートはめっきり少なくなり、水が綺麗になり、普段にあまり見れない魚も見れてます。

ロックダウン中にスーパーまで歩いて行けない高齢者たちのためにボランティアの女性たちが船で買い物を家まで運ぶと言うサービスを始めました。ローイングとは、手でオールを漕ぐボート競技ですね。

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因みに、最初のピークを迎えた国々が、ロックダウン(都市封鎖)措置の一部解除に踏み切っています。ソーシャル・ディスタンシング(対人距離の確保)が緩和される中、約2か月ぶりに屋外での運動を許可し始め、ムラーノグラス、イタリアやヴェネツィアの様々な企業も少しずつ操業再開をしています。

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ご興味のあればお電話下さい:090-1729-9891へ(フェラーリ・アルベルト)。

宜しくお願いします。

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ベネチアングラス in 伊豆・in ジャパン

ベネチアングラス in 伊豆・in ジャパン

ヴェネツィア(ベネチア)はもともとヴェネツィア湾の干潟の上に作られた街です。市街地のある本島の周囲には大小合わせて100以上もの島(ラグーナ)があり、それぞれに特色や見どころがあります。

ヴェネツィアのラグーナのうち、観光客にとって最も有名なのはおそらくムラーノ島でしょう。

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かつてヴェネツィアは共和国として栄華を極めた時代がありますが、ベネチアングラスは有力な輸出品でした。その製造技術の模倣や職人の流出を避けるために、国はムラーノ島に職人を住ませ、工房をひとところに集結させたのです。現在でも、島内には工房やガラスショップが沢山並んでます。

イタリア土産として大人気のベネチアングラス。ベネチアに足を踏み入れなくても、イタリアの大都市のおみやげ屋さんではたいていその商品を目にすることができます。

しかし、イタリアでこうしたおみやげを購入するのは、「ひょっとしたらぼったくられていないか?」と心配になるのは当然のことです。また、現在のイタリアにおいては中華系のスーヴェニール・ショップも多く、メイド・イン・イタリーだと思ったらメイド・イン・チャイナだった、なんていう話も珍しくありません。

そこで正真正銘のベネチアングラスについての情報が欲しいですとか、金額がそれぞれありますが、出来るだけ安く購入したいのであれば、知り合いと友達のシャンデリア(値段が種類によりますが、だいたい1,000ユーロから)、アクセサリー、鏡のメーカーに直接ご紹介い出来ますのでご興味のある方々、僕にご連絡下さい!

( 09017299891 )。

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製造されたばかり、工場で撮った写真

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20日間後、僕の伊豆の家で撮った写真

コロナに負けず、今でも、今後でも、ヴェネツィアの職人たちも頑張ります!

よろしくお願いします。

フェラーリ・アルベルト

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