2019/10/13
「狩野川台風の再来」台風19号に襲来に関して

まだ被害の全貌は明らかになっていないながらも日本列島の広範囲に災害をもたらした台風19号は1958年狩野川台風の再来と言われた。狩野川台風とは長岡生コンクリート(生コンポータル)創業のきっかけとなった大災害だ。
求められるコンクリートの役割の変化
伊豆半島の中心を穏やかに流れ人々の暮らしを潤している狩野川とは思えない表情を見せる(撮影、池上さん)。
伊豆の国市宗光寺地区は河川が決壊し冠水した(撮影、ゆきのさん)。
隣町の函南町でも冠水被害が起きたようだ(まさつぐさん自宅周辺)。
国道136号四日町交差点。見慣れた風景が濁流に飲み込まれている(写真提供は正治組大矢さん)。
60年間発展し続けてきた僕たちは何を手にしたのか。
台風19号。
狩野川台風(1958年)に匹敵。
その報に触れて胸のどこかに疼くものを感じた。
1000人以上の犠牲者を出した。
その後の深刻な水不足。
郷土をほぼ壊滅させたその災害。
地元伊豆に暮らす人たちにとって絶対に忘れてはならない出来事。
その再来。
当社、長岡生コンクリートはこの災害を契機に創業した。
自然から人々を守る為。
必要とされた膨大な物資の中の一つ、生コンクリート。
60年経過した今も郷土の人々を洪水から護った狩野川放水路。
「放水路があるから」
狩野川沿いに暮らす僕たちの生活も安心で安全。
その神話が崩れかけていた。
TVに映される狩野川はこれまでに見たことのない水位。
事実、コンクリートは人を守る。
守ってきた。
60年前の「人を守る」という文脈で生み出されたコンクリート構造物。
いつしか、「人を守る」から「自然を支配する」傲慢さを帯びたのではないだろうか。
高度な文明社会に暮らす僕たちは郷土を濁流に飲み込む狩野川台風の再来になす術もなかった。
60年、ないし70年前は当社だけではなく生コン産業そのものが始まった時期だ。
時代が経過し、「自然を支配する」に振れすぎてしまった僕たち産業は、「自然と調和する」柔軟なコンクリートを志向する時期に差し掛かっているのだと思う。
身近な人たちに大きな被害はないようだ。
とはいえ、3連休の只中で情報は得られづらい。
月曜日以降の予定を全て調整し状況把握に努めたいと思う。
こうした時頼りになるのは、僕たち生コン産業のお客様である建設業の皆さんだ。
彼らは暴風、豪雨の中地域の各所に待機し安全を見張っていた。
そんな彼らに届ける具体的な製品生コンクリート。
自然と対峙するのではない。
柔軟に自然と向き合う。
自然の良い部分、自然のもつ本来の機能を覆い尽くすのではなく活用できるコンクリート。
長岡生コンクリートは54期を迎えている。
業態を刷新しようと日々模索している今到来した狩野川台風の再来19号。
その残したことは僕たち生コン従事者にとって大きいものだった。
生コンを新しい視点で捉え直すことで自然と人が調和する世界を創造する。
宮本充也