2020/03/21
「祝!長岡さくら15周年」地域に溶け込む生コン事業所へ
長岡さくら工場(生コン製造業)開始から丸15年が経過し16年目を迎えている。長岡生コン、さくら生コン、それぞれ互いにいろいろあったこの15年。これまでを振り返りこれからを創造する。長岡生コンクリートとしては55期を向ける今期。連携は新しいステージを迎えようとしている。
「長岡さくら祝15周年」生コン産業の新しいあり方へ
Facebookの思い出機能にはたまに驚かされる。
子供の成長だったり、自らの節目だったり。
そして、15年前の本日3月21日は静岡県東部地区生コンにおける最初のJV事業「長岡さくら」が開始された日だった。
写真は6年前10年目を迎える時に開かれた飲み会。
長岡さくらの構想は真ん中に写っている橋本前副会長の発案。
ある日お寿司をご馳走になっている時に突然この構想を切り出された時最初に感じたのは「恐れ」だったことを覚えている。
当時20代の僕からしたら橋本さんは50代の油の乗り切った業界の実力者。
互いの会社の歴史や業容から言っても釣り合いが取れない。
それでも当時必死だった僕は「ぜひお願いします」と頭を下げていた。
あれから15年以上もの月日が経っているなんて信じられない。
橋本さんは引退され今は優雅な暮らしを送っている。
時間が経つのは早くそして常に物事は止まっていない。
常に変化し続けている。
さくら生コンチーム。
メンバーは変わらない。
みんなこの当時と全く変わらずお若くて美しい。
こちらは長岡生コンチーム。
栗林さん(左)も柳川さん(右)も第一線から退かれそれぞれ私生活を中心に暮らしている。
みんな相応に若い。
そして、55期。新しいステージへ。
定例で開催されている共同mtg。
互いの会社のリーダーは変わった。
頼れる橋本さんも今や現役を退いている。
実務をリードしてくれていた柳川さんも一部相談役として協力はしてくれているものの、重責は解かれている。
この15年互いにそれぞれ進化を遂げてきた。
それぞれのリーダーも変わった。
組織文化もずいぶん進化・成長したことに気づかされる。
さくら生コン(野村商店)の野村勝也(まさや)さん(左)とは定期的に将来を見据える時間を確保するようにしている。
互いに「下りのエスカレーターの乗ってしまった」共通項を持っている。
その境遇を恨んだこともあるけれど、今はお互いの輝かしい将来を見据えている、同志だ。
そして、長岡さくらは16年目に新しいステージへ。
地域に溶け込む生コン事業所へ
地域にもっと溶け込んだあり方を模索する。
現在の形を統合してさらに超越したあり方。
特定の誰かの意図に支配されるのではない。
伊豆という地域の全ての人が求めている郷土への愛を生コン供給という役割から形にできる姿形。
新しい器(新会社)を設立する。
最初の出資者は野村商店、長岡生コンクリートの均等出資。
それで終わりではない。
地域における生コン供給という文脈で共同できる全ての人に門戸は開かれている。
どんなパートナーも均等出資。
メジャーを取る特定の企業は生まれない。
独立自尊の製造工場・会社をイメージしている。
特定の誰かの支配を受けることはない。
その使命は郷土(の建設現場)に水の次に流通するインフラ基礎資材「生コン」を主体的に届けること。
出資者はあたかも共同の井戸のようにその工場で生産される生コンを仕入れそれぞれの顧客に販売する。
野村勝也さんとはこんな夢を語っている。
そして夢は今期実現を見る。
変化は誰にだって怖い。
失敗することだってあるかもしれない。
僕だって怖くないなんて言ったら嘘になる。
ただ、15周年の節目に立ち、6年前、そして10年前、15年前を振り返り、これまで辿ってきた道程を眺めるならば、「変化が本質」だということに気づく。
変化しないことを許される者は一人としていないことに気づく。
一瞬の空白に足はすくみ目を瞑ってしまうかもしれない。
それでも、飛び立とう。
僕にとっての今は15年前よりも断然輝いている。
今みんなでする英断はきっと5年後10年後の当事者全員にとってその時に輝いているために必要な経験だ。
祝長岡さくら15周年。
今は引退してしまった橋本さんをはじめ、見守ってくださる会長の野村さん、それぞれの会社に携わった仲間たち、そしてお客様、仕入れ先の皆様、地域社会の全ての方々へ。
おかげさまで15年の節目を迎えることができました。
心より御礼を申し上げます。
そして、これから5年10年。
みなさんと過ごしてきた経験が本物であることを証明するために。
もっともっと求められる「郷土に溶け込む生コン事業所」を力を合わせて実現しようと思います。
美しい郷土は僕たちが支えます。
宮本充也