2018/02/11
「残り続ける200年建築|三田のガウディ」
設計士も、末端の作業員も、管理者も、施主も、偶然通りかかる通行人まで、建築に携わるすべての人がまじりあうものづくり。
「そんなふうに作られた建築なら簡単に壊せないでしょ?」
(※外部原稿案)
蟻鱒鳶ル(ありますとんびる)と呼ばれる。
一等地に今も建造中の建築がある。
三田のガウディ
一部でそのように呼ばれる岡啓輔さん。
10年以上前から、
組織の力に頼らず、
およそすべての工程を自らの力で創っている。
もちろん共感する人たちの手を借りることもある。
ただ、そのほとんどはたった一人の作業。
スクラップアンドビルド
から
サステイナビリティ
に社会の要請が変化したといっても、
日本の建築のほとんどは予め供用年次が想定されている。
組織的に分業態勢で創られるほとんどの建築は、
オートメーション化が進み一人ひとりの作業負担が少ないこともあり、
「ありがたみ」
の面で古来の建築に比べて希薄なのではないか。
岡さんはそう語る。
※最上階(3F)で見学者を前に語る岡啓輔さん
特殊な混和材に頼らず極限まで水を減らす。
水セメント比は36%以下。
1m四方程度の断面毎に区切られた打設箇所に丹念に生コンを打設する。
一般建築の生コン打設はよく知られているように、
ポンプ車や生コン工場から届く生コン車など車両を用いて、
階層ごとに組織的に一気に打設される。
(そのロットは100~200㎥と大規模)
そのため生コンスランプは18㎝など柔らかく設定され、
水密性を高めるために特殊混和材が多く用いられる。
冷静に考えれば打設される生コンは、
半製品
中途半端なその原料を現場で刻々と変わる諸条件の中成形する。
完璧な管理を期待することは至難といえる。
一方岡さんの手による生コン打設は、
小さなピースごとに丹念に無理のない範囲で絶対を期待する。
(そのロットはせいぜい0.1㎥~0.2㎥程度)
その集積としての蟻鱒鳶ル。
現代の組織建築を知る僕達には想像が難しい。
専門家によればここまで管理されたこの建築は、
200年持つとされている。
極限まで水セメント比を低減されたコンクリートは中性化が進行しないことが知られている。
※特殊型枠を用いて打設されたコンクリート壁
※外壁の様子。打ち放しコンクリート
※現地で打設されたオブジェと内装の様子
簡単に出来上がったものは簡単に壊してしまう。
愛着が持てないのは真理だという。
殆どの作業を一人で。
組織建築に慣れてしまっている僕たちには想像がつかない。
だからその作り方も実際にお話を伺うと目からうろこの部分が多い。
来る日も来る日も丹念に少しずついたわりながら。
多くの共感者の有形無形の協力を得ながら。
蟻鱒鳶ルは少しずつ形を完成させようとしている。
軽率に説明することが憚られるくらいに、
その形が帯びている魅力には10年以上岡さんが経験したすべてが濃縮されていた。
ものづくりに向き合った一人の人生がそこにある。
説明する必要もなくただ感じるほかに向き合うすべはない。
現在この建築は某大手ゼネコンの前に危機にさらされている。
再開発の計画が数年前から立ち上がっているという。
窓口担当者が変わるたびに方針はぶれる。
必ず保存しますから安心してください。
同じ組織から次には、
そんなことは申し上げたつもりはありません。
突然突き放されることもあるという。
状況が流動的であり本格的な作業は現在凍結している。
細かな作業しかできない状況がもう3年も続いているという。
しかし岡さんはその運命を恨むわけでもない。
組織というものの性質をよく理解し、
「基本的にみんないい人なんですよ。しかたなくそう言っている」
そんな寛容な姿勢で暮らしている。
共感が集まる。
岡さんの覚悟と、
その覚悟に共感をする多くの人たちのアイディアや協力。
それが少しずつ少しずつ岡さんの手により具現化されていく。
「図面では違う仕様になっていても、3階まで出来上がってふとそこからきれいな富士山が眺められることに気付く。じゃあ、ここに窓をつくろうってなるんですよ」
建築の本質をこう語る。
高慢ちきな建築家が一方的に美を押し付ける。
俺が言うことが正しいんだ。
お前らは俺の言うとおりにただ作れ。
そんな建築の在り方が日本の風景を壊した。
共創
設計士も、末端の作業員も、管理者も、施主も、偶然通りかかる通行人まで、建築に携わるすべての人がまじりあうものづくり。
「そんなふうに作られた建築なら簡単に壊せないでしょ?」
完成予想はいまだ見えない。
再開発問題も出口が見えていない。
岡さんだけじゃない、
今の時代を生きるすべての人がこの世から去っても、
残り続ける200年建築。
蟻鱒鳶ル
その威容が僕たちに伝えていること。
沿道から眺めるくらいならだれでもその芸術に触れることができる。
都心にものづくりの精神が屹立し未だ変化をし続けている。