2017/02/06
「生コン2個1集約に関する確信」 連携・共同
12年前の3月21日から今日までやっていること。
長岡・さくら
という共同事業
ジョイントベンチャーは多くのことを教えてくれた。
野村商店の橋本さんといえば当時泣く子も黙る怖い人
的な評判の人で20代駆け出しのこわっぱ→宮本
からすれば雲の上の人みたいなイメージのその人から、
長岡さくら構想を持ち掛けられたのが始まり。
当時伊豆の国市には僕たちの長岡生コンと、
もう一つ、伊豆さくら生コンという2工場があった。
当時から出荷は低迷を続け価格も下落傾向。
こんなことを続けていたら楽しい未来など描きようがない。
当時そう思っていた僕に突如業界の鬼(そのくらい怖かった)から、
「一緒に工場やろう」
なんて持ち掛けられた。
一方はベテラン、こちらはデビューしたて。
若かった僕は、
「こりゃ、やばいかも。飲み込まれちゃうかな」
と思いつつも、打開策が他に見つからないのもあったので、
「お願いします」
とだるま寿司(伊豆の国市)の個室で頭を下げたことを覚えている。
「飲み込まれちゃうかも」
もおかげさまで杞憂となり、
今は野村商店サイドは新体制野村勝也社長にバトンタッチし、
引き続きこれまでと変わらぬジョイントベンチャーを続けている。
もちろん時代が変わっていることもあり、
課題設定も変わり、新たな時代の新たなジョイントベンチャーを模索しているところだ。
※月例合同朝礼、手前は野村商店野村勝也(まさや)社長
わくわく体操から始まる朝の風景(07:30)
ジョイントベンチャーを12年続けていて確信に近いことがいくつかある。
一つ屋根の下で共同するということの中で最も大切なことは、
思いやり
互いに思いやる姿勢
確かに経営合理化という経営判断から端を発する共同事業だが、
実際にその運用を担当するのは、人。
感情を持った生き物である人が実際には運営を行う。
数字だけで割り切れた経営合理化は人の裏付けあってこそ。
12年も共同事業をやっていれば、
12年の夫婦生活にも近い現象が起きて当然。
「○○だと思っていた」
「△△が当たり前」
のような、独善的な姿勢は何年重ねても危険。
常に相手を見つめ市場環境の変化に対応したありかたを、
協力して模索することは、
1回2回やったらおしまい
ではなく、普段のたゆまぬ協力によってこそ作り上げられるものだと思う。
また、もう一つには、
「守りというよりも攻めの姿勢が大切」
ということ。
生コン業の2個1や3個1はとかく、
「守りの事業」
と思われがちだが、
これは人間関係に置き換えれば、
妥協の事業
ということを指す。
恋愛でいえば、
「まあ、いっか、不細工だけどこの程度の男で我慢しよう」
を意味する(これはつらい)。
本来の共同事業は協同する関係法人が、
「さらに輝かしいステージ」
を約束される場所でなければならない。
妥協ではなく、相乗(シナジー)が求められる姿。
確かに市場環境は時代を経るごとに厳しくなっていく。
だから、冬眠しよう、守りに入ろう
という姿勢はさらに内向きとなりその円そのものをしぼませてしまう。
2本の柱がその支えられる重量の和よりも重いものを支えられるように、
関係当事者が思いやりを常に持ち、
想像できなかった素晴らしい果実を得る。
それが、集約化→共同事業に求められるあり方なんだと思う。
先輩から引き継いだこの共同事業、
いよいよ僕たち当事者がそのタスキをもって走ることとなる。
常に初心や大切な思いやりを忘れずに、
これからも一生懸命走っていきたいと思う。