長岡生コンクリート
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2019/11/15

「今日は生コン記念日。丸70年の生コン産業これからについて」

「今日は生コン記念日。丸70年の生コン産業これからについて」

1949年今はスカイツリーがそびえ立つ現東京エスオーシー業平工場の創業が始まった日だ。なんと奇運なことにそんな記念すべき70年の節目に業平工場に勤めていたことがあるという長濱さん(現横山産業)と岡山で出会う。



丸70年の生コン産業これからについて

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東京エスオーシー業平工場に昭和56年当時主任という立場で勤務されていた長濱さん。

2019年11月15日、偶然にもお会いできたことに奇運を感じる。

もともと住友大阪セメントグループに所属されておられ、そのキャリアはまさに業界の生き字引。

お話を聞いているだけで胸が躍る体験というのはこういうことだろう。

話題が止まらない。

なんと長濱さん、昨晩10時に埼玉を生コン車で出発し岡山に10時前に到着。

「東名高速の事故渋滞にまきこまれ3時間の足止めを食った」

といいながら、寝てないはずなのに朝から超ハイテンション。

生コン産業にはこんな燃える魂が必要なんだと思う。



多様化する生コンについて。

ビジネスモデルの陳腐化を感じることが多い。

セメントと砂利砂を買ってきてガラガラかき混ぜてポンと出したものを現場に運ぶ。

ガラポン商売。

非常に単純。

金さえあれば簡単に始められる。

高度成長期に創業したそんな生コン工場はピーク時には5,000以上を数えた。

現在その数3,000を割ろうとしている。

東京など都心部は別として、地方の生コンの現場は惨憺たるものだ。

ピーク時の5分の1。

下手すりゃ、8分の1なんて話もきいたことある。

作れば売れる。

作れば必要とされる。

その時代に求められていたあり方と、ダウンサイジングの現代に求められるあり方は違うのが当然だ。



多品種少量生産。クローズドループ。SDGs。

「今日は300m3の大量打設がある」

生コン経営者にとってこんなに嬉しいことはない。

今月は助かった。

儲かる。

そんな心理はきっといずれの生コン工場経営者の本音であるはず。

一方、時代の文脈はずいぶんことなるようだ。

SDGs。

サステナブル社会。

あと50年で石灰石が枯渇する。

リノベ。

なるべく壊さないで活用する。

文脈だけに耳を傾けていればさながら、コンクリートから人へだ。

その時代、「やった、300m3だ!」とか「災害が起きたからまた生コン増えるな」なんて姿勢が持続するとは考えられない。

組合を盾に全ての工場が努力もせずに生き残れるような金額でゼネコンと交渉しよう。

地元の中小工務店なんか高く売っときゃいいんだよ。

100m3以下なんかゴミだ。

残念なことにそんな態度で操業する生コン工場もある。



70周年説。

https://www.urataken.com/cat64/post_137.html

制度破壊や価値観の破壊は70年サイクルで起きるという説。

いよいよ生コン産業はその節目となる70年を迎えてしまった。

毎日せっせと作り生コンを建設現場にお届けする。

今は閉鎖してしまった東京エスオーシー業平工場に端を発した生コン業態。

今日で丸70年が経過した。

現場最前線、ラストマイルに従事する生コンパーソンは時代や市場の声をどのように受け止めているだろうか。

70年イベントなどといって立食パーティーに参加していられる気分だろうか。

なにか抜本的な。

前例踏襲ではない何かを起こさなければと感じているのは僕だけではないはずだ。


70年目の今日も。

70年と1日目の明日も。

そんな時代の要請に敏感でありたい。

そして、受容したその何かを形に起こす。

実践し続ける自分でありたい。

寝ずに埼玉から岡山を訪ねる長濱さんと話していて。

そういえば、今日は生コン70年の節目。

誕生日なのだなと感じた。

とても祝っていられる気分ではないのだが。

それでも、この節目を祝福し、未来を見つめていきたいと思う。



宮本充也

宮本 充也

主な著者
宮本充也

1級(舗装・造園・建築・土木)施工管理技士/コンクリート主任技士・診断士/砂利採取業務主任者/採石業務管理者

危険物取扱責任者(乙4)/毒物劇物取扱責任者/日本農業検定(1級)/エクステリアプランナー(2級)/運転免許証(大型・中型)

勉強中の資格:宅建士