2017/07/02
「お父さんの会社で働く」
ちょうどこの子と同じ小学校4年生の時、
僕の父親辰雄は脳溢血で他界した。
大きくなったように見えてもまだ幼い子供。
このくらいの時の僕は父の死とそれからの目まぐるしい変化に翻弄されていく。
「将来の夢」
小学校の課題かなにかで、
「お父さんの会社で働く」
と書いてくれていたそうだ。
他の子たちは、
「ユーチューバー」
という答えが多かったそうだ。
このくらいの頃の僕は一体何になりたかっただろうか。
「でも、家に全然帰らないほど忙しいのはいやだよ」
「大丈夫、仕事は自分で決められるから」
「夜遅くまで仕事したくないよ」
「うん、家で仕事できるから大丈夫。パパは好きでやっていることだから、たっちゃんも好きなことをやるといいよ」
9歳の時のある日。
病院に行くと父親はすでに他界していた。
前日の夜、母親が、
「お父さんになにかったらどうしよう」
まるで翌日の父の死を予言するかのようなことをつぶやいていた。
やけに印象的に記憶に残っている。
9歳のころの僕は一体どんなことを考えていただろう。
父の仕事を一緒にやりたいと思ってただろうか。
目の前の9歳の子を見ているとマインクラフト(ゲーム)に夢中だ。
まるで僕がパソコンの前でブログを書くのに夢中になっているように。
かき氷を食べながらふけっている。
9歳のころ、それより以前のころの記憶それほど多くない。
何が何だかわからずに葬式が始まって、
同級生とその当時の担任の先生が僕を慰めに来てくれた。
死というものの意味が分からず僕はただ動転していたと思う。
同級生が慰めてくれた途端に堰を切ったように泣き出したことを覚えている。
ただただ大声で泣きわめいていた。
訳が分からなかったのだと思う。
雨の日だった。
大人たちは冷静に式を執り行っていた。
それから1年くらいは普通じゃなかった。
伴侶を失って途端に裁判に巻き込まれていく母を幼心に眺めていた。
そんな記憶がある。
失敗は二度と繰り返してはならない。
健康に気を付けて、できるだけ規則正しい生活をしたい。
日曜日もただ飲食にふけるんじゃなくて、
たまにはこうして近所の山登りにでかけたい。
べつにたくさん話をするわけじゃない。
蛇がでたとか虫が気持ち悪いだとか。
一つ一つの会話にはまるで意味がない。
だけど、ともにいるということがとても大切だと思う。
まるで運命や父の意志が僕を今に引き寄せたように、
僕もこうして息子とともにいることで、
そして仕事を楽しそうに一所懸命することで、
何かを残せたらいいのだと思う。
途中普段暮らしている町の様子がよく見えた。
会社も遠景にすすけてみえる。
父も、僕も、息子たちも生まれ暮らしてきた伊豆の国市だ。
伊豆の国市の暮らしの土台はきっと大半は僕たちが作って届けた生コンだと思う。
僕は父(母)から渡されたタスキをもって走っている。
そのタスキはまだ幼いこの子にいずれ渡されるのだろう。
もし別の道に進むということに仮になったとしても、
山から見える景色に営まれる社会に貢献出来る、
そんな人間になってほしい。
もちろん、生コンをやってほしいというのが本音だけれど。
このタスキを持った僕はまだまだ健康で働きたいと思う。
今は38歳、もう少しで39歳。
息子は9歳、もう少しで10歳。
社会のために役に立ちたい。
貢献をしたい。
そのためには最も身近な愛すべき人に幸せになってもらえるよう。
努力する必要があると思う。