2017/07/27
「一抹の寂しさを感じないでもない」
一抹の寂しさを感じないでもない。
昭和52年に発意し造営されたと聞く。
身ごもった子供が男の子(僕のこと)と分かって、
もういっちょ
と奮発したのがプラント新設の動機付けだったそうだ。
当時は「東洋一」の規模とされていたそうだ。
度量衡社製プラント。
その後時代の変遷により生コンプラントはユニット化・小型化していく。
全国あちこちの生コン工場を眺めて回ったが、
当社長岡生コンのプラントよりもその上背において、
規模の大きなプラントをついぞ見つけたことがない。
覚えている。
17年前に入職した時。
非常に古い、けれどとても大きいプラント。
錆だらけで僕の最初の仕事はその錆のケレン落としと、
錆止め塗装、仕上げ塗装を、高所恐怖症を押して行った。
夏場鉄板はひりひりと熱くやけどするほどだった。
創業社長辰雄に感謝すべきはそのプラントの大きさ。
リニューアル工事→ミキサーや計量器の入れ替え、
が非常に楽で古いながらもコストが抑えられ長持ちが利く。
入職当時コントローラーがアナログ式で、
よその工場はみんなパソコンで伝票も自動印字だったのに、
うちの工場だけはリレー式の52年当時のものであり、
さらには今はすっかり見かけることのなくなった手書きの伝票。
はっきりいって超コンプレックス、恥ずかしかった。
どの工場を見渡してもそんな工場は見つからない。
経営状況も汲々としていたのでコンプレックスは過熱することになる。
入って1年くらいの目標。
「30歳になるまでにプラントの中身をリニューアルする!」
会社の先輩である南條さん(工務担当)にそう宣言し、
その思いは27歳の時に果たすことになる。
KYC(光洋機械産業)の北さんの手引きで、
貯蔵ビン・ベルコン・計量器・ミキサー・ワンマンコントローラ
すべてを最新モデルとすることができた。
夢の自動印字伝票である。
その当時の感動は今も忘れない。
時代は変わった。
10年の変化の膨大さに目がくらむ思いだ。
さらに10年経つとさらにとんでもなく視界が変わるだろう。
入職した時には想像もしなかったことだ。
伊豆地域を今後襲うであろう大地震への備え。
愛する故郷を支えるインフラへの貢献。
そして何よりも大切な会社の仲間を守ること。
そんな思いで至近にある工業団地への移転・新設を踏み切った。
今から2年前の決断である。
更地からの生コン工場の新設。
父辰雄の覚悟がどのようなものだったか。
おぼろげながらかもしれないけれど僕にも少しわかるような気がする。
一抹の寂しさを感じないでもない。
父が残した覚悟が今新しい形へと再新再生を果たそうとしている。
今年の正月から稼働し始めた新工場。
NIKKOの岡本さんの手引きで形が生み出され、
多少のトラブルがあったもののとても気持ちよく稼働している。
きっとこの屋台骨は伊豆地域に今後30年以上貢献することになるだろう。
僕はそれに責任を持つことになる。
その覚悟はすでにできている。
役割を終えて解体される父の残したプラント。
17年前に身を寄せて、
僕が入る以前よりも多くの人たちが身を寄せた、
生コンプラント。
国道414号線伊豆の国市に入ると中学校を過ぎて左手に見える、
東洋一の規模を誇る生コンプラント。
ランドマーク。
それが今姿を消そうとしている。
僕が中学生の時にも通学路右手にその威容を誇っていたことを覚えている。
それが、今消えようとしている。
形は消えるかもしれないけれど、
父の残した覚悟や信念は僕や会社の仲間たちが引き継ぐことになる。
伊豆の国市や伊豆地域のインフラを支えていく。
誰にも頼まれていないことかもしれないけれど、
僕は人生を賭してその信念を貫いていきたい。