長岡生コンクリート
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2018/03/06

「あがいても橋やビルができるわけじゃない」

「あがいても橋やビルができるわけじゃない」

※右から野村社長、佐野さん、遠藤さん、僕。定例の長岡さくら生コンミーティングにて


生コン工場としてとるべき選択肢。

いくつかあると思う。

全国の生コン工場を訪ね歩いて思うこと。

それは、

生コン産業というフィールドそしてルールでは努力が報われない

ということ。

産業が豊かで実りあるものだったら、

努力すればそれに見合うだけの対価が得られる。

地方特に都市部ではない地域で操業する生コン工場。

ピークから半減ならまだいい。

3分の1、5分の1と激減した市場環境。

高いパフォーマンスをとある工場が発揮(努力)したからといって、

橋やビルができてくれるわけでもない。

ないものはない。

協組共販体制がそんな生コン工場を守る。

安定供給は当該地域にとっては必須項目であるから、

共販がリードして2個1集約と呼ばれる、

市場に対応したサイズに供給を調整する。

10工場以上あった事業所は今や2事業所まで減りました。

そんな例は枚挙にいとまがない。


当社長岡さくら工場もその1だ。

13年前に当時野村マプロの社長であった橋本さんと、

昨日ミーティングに参加してくれた佐野さん、

当方は僕(まだ20代だった!)と柳川さん。

先々のことを考えると今手打っておくべき

今振り返れば僕の生コン人生におけるとても大きな機会となった。

2個1集約化

当時同じく伊豆の国市で操業していたさくら生コンさんの製造を停止させ、

長岡生コンの製造工場を残し生コン事業を統合する。

当然生コン製造にかかわる固定費2事業所が1事業所になるから、

1社における経費負担も俄然軽くなる。

どんなにあがいても増えることのない生コンという市場に冷静に向き合う。

当然の選択肢。


野村社長や僕にとってはつけを回されたかんじだ

普通に考えればそうなる。

市場が生まれて右肩上がりの時代に肥大した事業規模。

僕達が入職する前の話だ。

入ってから市場が減少、市況が低迷。

それがふつうだった。

つまり、減少する市場や市況に合わせて事業を変化させる。

後ろから崖が崩れてくるのを必死で逃げ惑う。

同じ変化でも流れるのは冷や汗、脂汗。

決してさわやかな感じではない。

これは生コン産業のルールがこのままである以上変わらない。

先人たちのつけを払わされるような職業人生。


チャンスはあと少し。

いつの時代も求められるのは変化。

つけがまわってきたと嘆くのも、

逆境をチャンスととらえて発奮するのも今を生きる僕たち次第。

市場環境を眺めれば嘆いてしまうようなことばかりでも、

考えて考えて考えまくって行動に移せばチャンスは見えてくる。

やることが市場規模に応じたリサイズだけじゃつまらない。

少しは明るい方に目を向け走ってみたい。

ロスジェネ世代が多少なりとも感じていることではないか。

そのためには、チャンスはあと少し。

2020、そして2025、市場衰退のシフトチェンジといわれる。

この2つのポイント。

そこまでに新たな在り方を完成させていなければならない。

みんな必死だ。


あがいても橋やビルができるわけじゃない。

いや、そんなルールで仕事をしているから仕方ない。

ルールや産業構造にイノベーションを起こす。

あがけば、それなりに、市場が生み出される。

それでなければフェアじゃない。

努力した者に適正二報いるのが本来の市場だ。

今の市場は間違っている。

そのように思いたい。


僕たちがあがき苦しんでいる目的の一つに、

そんな市場環境への想いがある。

なかなかハードな毎日だけどそれだけやりがいがある。

同世代の当事者たちとの交流は常にそんなことを思わせる。

そんな僕たちがこれからの産業を創造していくことになる。

そう考えると俄然やりがいが出てくる。

生コンを選んで本当によかった。


宮本充也

宮本 充也

主な著者
宮本充也

1級(舗装・造園・建築・土木)施工管理技士/コンクリート主任技士・診断士/砂利採取業務主任者/採石業務管理者

危険物取扱責任者(乙4)/毒物劇物取扱責任者/日本農業検定(1級)/エクステリアプランナー(2級)/運転免許証(大型・中型)

勉強中の資格:宅建士