2018/06/01
「交換出荷はどうなるの?|生コン・セメント」
「基準満たさぬ生コン出荷」。朝日新聞でも取り上げられたこの事件。一方、長年続く「交換出荷」という商習慣がある。メーカーの異なるセメントが商売の都合で取引されている事実。一度0ベースにしてやり直せないものだろうか?
何でもかんでも基準で語るものづくり
よほどニュースがないのだろう。
もちろん、ルールは守るべきだ。
それでは生コン従事者に問いたい。
完璧に1mmも曇りなく。
ルールを全うしているという人がいたら連絡をください。
(なかったら全員ルールを守ってないとします笑)
神戸製鋼のデータ改ざんを皮切りに、
このところ「ものづくり」に関わるこの手の事件が後を絶たない。
いよいよ生コン・セメントに来たかという感がある。
先日の鳥取回収骨材不正使用のニュースもそう。
果たして実際に従事している僕たちはこれらニュースをどのように受け止めているだろうか?
「許せん!!!」
憤慨している人を僕は一度も見たことがない。
どこか冷ややかというか。
残コンもそうだが、
「部屋の中の像がようやく露見しちゃったね」
程度の薄いリアクションなのではないか?
平然と行われる商習慣「交換出荷」
セメントメーカー同士の都合で行われる商習慣がある。
詳しく知りたい人は身近な生コン・セメント関係者に尋ねるといい。
「何?交換出荷って?」
と。
そもそも僕たちは気にしていない。
生コンの主要原料であるセメントの産地がたとえ表示されているものと違ってたとしても。
そしてそれがよくある業界の習慣だったとしても。
それが生コンをなおざりとしたセメントメーカーの都合主導の慣行だったとしても。
僕たちは所定の性能が期待できる限りは問題にしない。
そもそも業界内向きの作用が数多くの虚像を生み出していることは誰も声に出さないだけで周知の事実だからだ。
縦型で閉鎖的な流通構造が生み出した膿のようなもんで、
それがすなわち「性能の劣る生コンの製造」とイコールになっていないかぎり。
つまり、しっかりとした製品が作られることが担保されている限り。
僕たちはそれを問題にしない。
問題にするのは薄っぺらい社会正義を振りかざす一部メディアだけだ。
当事者はなんとも思ってないし、
だからといってダメな製品を作っているつもりもない。
どちらかといえば社会が要求する以上のものづくりをしている自負もある。
※端を発したコンクリート新聞の記事
ルール通りのダメなコンクリートとルールは外れてるけど良質なコンクリート
産業の歴史が長ければ長いほど矛盾は生まれる。
そもそも守るべき規格なのだろうか?
現場の現実を踏まえた規格だろうか?
分業体制が進みすぎ規格行政に実際ものづくりに携わっている現場の声が届きづらい。
数多く規定されるルールのほとんどは使われることなく、
逆に隠蔽体質に拍車をかけるようなものさえある。
大切なのは何?
顧客と市場の要求に応えること。
それが規格やルールに応えることと同じであるべきが、
そうではない多くがまかり通っているのが現実。
いよいよ70年を迎えようとしている生コン産業。
そろそろがらがらぽんともいうべき変革が必要な時期に差し掛かっているのではないだろうか。
みんな好きで嘘をついているわけじゃないだろう。
嘘つきは泥棒の始まり。
みんなそう教わって育ってきたもんね。
大人になったから嘘をついていいなんて法があるはずがない。
生コンでいいこと。
宮本充也