2018/08/06
「強烈なリーダーシップなんかいらない|長岡さくら工場」
自分の頭で考えて自分で決める。やれそうで、実は多くの人はやれていない。長岡さくら工場14年目に突入。誰かが決めた枠組みよりも、自分たちで決めて形にした枠組みの方が愛着も湧く。人への思いやりだってもてる。そんな事業所が理想だ
強烈なリーダーシップなんかいらない
※長岡さくら工場では朝の掃除が習慣になっている。自分が働く場所だから、もっと働きやすく、健やかに過ごしたいから。
※生コン車を拭き掃除。自分の乗る車だから、綺麗な方が気持ちいい。
※棚を整理していたら現れた蜘蛛(くも)を掃除機で吸い取るために派遣されたまさんぐ。「吸い取ってもまた出てきちゃうじゃないですかぁ」とのこと。自分の頭で考えてもらいたい
今の時代強烈なリーダーシップなんかいらない
僕は本気でそのように考えている。
理想論だろうか?
綺麗事?
組織には力任せに引っ張る強烈なリーダーが必要?
僕はそうは思わない。
自分の人生、自分で決めたい。
誰かが決めたレールの上に無理やり載せられるなんてまっぴらごめんだ。
自分がそう思うなら、
会社のほかの人たちもきっとそう思ってるはず。
だったら、無理やり強制するようなことなんか絶対にしたくない。
僕が自分で決めた人生を自分が思うように歩みたいなら、
事業所の中にいる全ての人にもそうあって欲しい。
だから、強制はしない。
ただ、「自分で考えて自分で決めて自分で行動して欲しい」と願うだけだ。
自分たちで決めて形にした枠組みへ「長岡さくら工場」
14年になる長岡さくらは固定的なモノではない。
関係する全ての人たちにとって変更可能な「コト」だ。
「〜〜してくれない」
「〜〜だと思っていた」
「〜〜が好きになれない」
例えば自分が作った絵に対して、
「もうすこし明るい方がいいから好きになれない」
とか、
「そもそもコンセプトが嫌い」
とか、絵を描いた人はその絵に対して文句を言うだろうか?
それと同じことが事業所や組織に言えると僕は思っている。
自分は表現者なのだ。
自分でその絵(=長岡さくら工場)は変えられる。
そんな前提をいつしか人は僕も含めて忘れてしまって、
自分以外のことのように錯覚し、
ついつい愚痴を垂れ流してしまう。
強烈なリーダーシップに郷愁を寄せて、
誰かが決めてくれた(トップダウンの)レールの上をひたすら考えずに走り続ける。
思考は停止する。
もしかしたら、これはこれで気持ちは楽かもしれない。
考えたり感じたりする必要がないのだから。
でも、そんな生き方(働き方以上)が好きな人っているのかな?
月例のMTGの後に野村勝也(野村マテリアルプロダクツ代表取締役)とそんなことを話した。
今を生きる僕たちの働き方は誰かの強制力に支えられるべきものじゃない。
自分の運命は自分たちで切り開く。
共感と思いやりを基礎に、
人が輝けるための組織を共同で作り上げる。
そんな「長岡さくら工場」へ
ここに集う人が「こうありたい」とねがう形に今日も少しずつ変化する
※朝礼の様子。組織やみんなに聞いて欲しいことがある人が前にたって話す。自分がそう思うことが大切
自分の描いた絵じゃなければ愛着が持てない。
自分が作った音楽じゃなければ。
自分が作った組織じゃなければ、好きになれない。
当たり前のことだ。
「この組織(事業所)の中で変えられないものは何一つありません」
僕は本気で言っている。
もっと言えば、この社会で自分が関与できないものは一つとしてない。
組織や事業所においてをや。
自分が変える。
リーダーシップは僕たち一人一人の中にある。
そんな自主的な人たちが集まった組織は、
きっとより一人一人を幸せにする魔法をおびることだろう。
生コンでいいこと。
理想が形になっていく。
宮本充也