2016/04/17
「秋さんさようなら」
僕の会社の創業は50年前
創業者辰雄は非常にやんちゃな感じな人だと聞いている
やんちゃな人間の周りに集まるのも、
これまたやんちゃな人々で、
・プロレスラーがいて、邪魔になっていた車を素手でどかした
・気分と腕っぷしだけで仕事をしていた
・雨の日は朝から花札と酒
・現場に生コン届けるのにねじり鉢巻きと雪駄履き
・現場の人と乱闘騒ぎ
なんて、今では到底考えられないような話をよく聞いたものです
秋山實さんは、そんな長岡生コンの古き良き運転手さん。
気分屋で、なかなか配車係の言うことを聞いてくれず、
前任の中川さんや、その前の相澤さんはとても手を焼いていたものです
性格もとても難しく、新しく入ってくる運転手さんとの関係もうまくいったりいかなかったり
僕が昔「秋山さん15年勤務の表彰を県の生コン工業組合がしてくれますよ」
なんて言っても、
「いらない」
とにべもなく断られた記憶が今や懐かしい。
そんな秋さんだが、感動してしまうほどいいところもあった。
一番最後の思い出はこっそり僕が最近始めた運転手控室の掃除。
そそくさと片づけをしていると、無言でてきぱきと手伝ってくれた。
言葉はそんなに多くない、ただ感情で動く。
誰が見ていようとも、見ていなくとも、
ただ自分がやりたいことだけをやる人。
年に1回のNR会バス旅行では、僕の父のことを「おやじ」と呼び、
どれだけ慕っていたか、そしてどれだけめちゃくちゃなあらぶれものだったか、
そんな思い出話をしてくれていた。
63才という若さでこの世を去ったけど、
秋さんの存在感は、他の長岡生コンを支えてくれたみんなと同じように、
いつまでも風化することはありません。
腕っぷしと感情だけで動いた秋さん、
健康だけが取り柄だと思っていたけど、
夏には自分で作っていたスイカを届けてくれて、
誰からもらったスイカよりも断然、
秋さんの田中山のスイカは絶品でした。
冥途でもその姿勢貫いてください。
そして、長岡生コンをいつまでも見守ってください。
秋さん、また会いましょう。
宮本充也