2019/10/08
新しい生コン供給のあり方を模索する公開プロジェクト
月例となっている野村マテリアルプロダクツ(さくら生コン)との協議。長岡さくら工場15年の節目に、その在り方に脱皮が始まろうとしている。「新しい時代の新しい生コン供給のあり方とは?」を探る公開議論が始まった。
新しい時代に求められる生コン工場のあり方に関する公開議論
朝礼でこのアイディアを関係する全ての人に提案してみた。
恐れではなく、信頼をベースに。
確かに現実は過酷だ。
19年前に入職してからひたすら下りのエスカレーター。
出荷数量は半減以下。
先輩に聞けばピークから3分の1、下手すりゃ5分の1。
市場サイズに合わせて居住まいを正そう。
2個1、3個1。
縮小縮小、さらに縮小。
でなけりゃ、おまんま食い上げさ。
もちろん、そうしたアプローチもあるだろう。
恐れをベースに物事を考えることもできる。
同時に僕たちは信頼をベースに物事を考えることだってできる。
地域の生コン工場が顧客、そして地域社会から求められていることはなんだろう?
「サイズに合わないからとにかく小さくなってくれ」
と求められているのか。
「価格も安くしろ」
それが市場と顧客の要請なのだろうか。
お前ら生コンには果たすべき役割はないのだから、大人しくしておけ。
そうだろうか。
今後この議論は公開され、地域社会の目に触れる形で進めていきたい。
その場でスケッチされた概念図。関係するいろんな法人・個人に育てられ共有される場としての生コン供給のあり方ってないだろうか。
長岡か、さくらか。を脱する。
俺のやり方か、お前のやり方か。
取り、引く、のか。
2分法でこのまま進むのか。
それとも、長岡と、さくらと。
そして、地域の生コン供給に関係するすべての関係者を巻き込んだあり方を模索するのか。
その場合絶対的に必要なのは、「恐れ」ではなく、「信頼」。
恐れをベースにすればやがてそこには、「疑い」や「怨嗟」「争い」が生まれる。
「きっとあいつはまだ何か隠しているはずだ」
「ここはこちらにプラスになる条件になるまで心理戦だ」
そんな条件闘争は「恐れ」に端を発する。
俺か、お前か。
そんなパラダイムに発展はない。
所詮俺も、お前も、誰も彼も、100年後にはこの地域にいない。
100年後この地域のインフラに生活する人たちはそのインフラに関して誰が作ったとかあいつが供給したかなんて気にしない。
僕たちが志向すべきは、「俺か、お前か」ではなく、時代や社会に求められる生コンを市場と顧客に届けることだけ。
そのために、僕たちは「恐れ」から「信頼と感謝」をベースに楽しく協議を進めたい。
常に笑顔を意識していたい。
組織の中にいるすべての人だけではない。
金鱗の顧客や同業者も含めすべてまるっとオープンにこの競技を発展させていけたらもっと楽しくなるはずだ。
僕たちが求められていること。
争うことだろうか。
競争することだろうか。
時代は変化した。
求められていることも変わった。
その求められていることに真剣に耳を傾け、関係するすべての人が豊かさを手に入れることができるあり方を信頼して。
僕たちの模索は始まる。
宮本充也