2020/09/18
「株式会社 泰慶 新プラント竣工 感謝祭」

もう少しで創業50周年の兵庫県神戸市西区に操業する泰慶生コンは日頃から透水性コンクリートや残コンなどあらゆる事業で連携している大切なパートナーだ。この度は「新プラント竣工感謝祭」にお招きいただき創業から今に至るまで50年の歴史に触れた。
「2年間袋セメントを手投入していた」
不透明な社会情勢ではありながらも老朽化を迎えた旧プラントを一新した兵庫県神戸市の泰慶生コン(プラントメーカー:日工)。
創業者・オーナー石原会長からは本日(2020/09/17)に至るまでの足跡が淡々と紹介された。
50年前当時。
関東に遅れながらも少しずつ生コン工場が出来始めていた。
当時から建設業に従事していた石原青年は「生コンが届かず止まっている建設現場」を数多く目の当たりにした。
生コンを運ぶ車を2台所有していた友人に8万円の現金を持って「俺に譲ってくれ」と頼み込んだのが生コン創業のきっかけ。
とりあえず、車は手に入った。
プラントはない。
これまた友人の鉄工のプロに頼んで材料を投入するヤグラを建設した。
重機や手作業で材料を生コン車の中に投入。
「配合なんてデタラメだけどとりあえず生コンみたいなもの」
を作っては建設現場にステコンとして運び込んだ。
それは市場と顧客の希望に届いた。
「俺の現場にも持ってきてくれ」
時代は未曾有の経済成長下にあった。
瞬く間に石原青年が作った「生コンみたいなもの」はヒットした。
次第に設備も充実し、職員や仕入れ先も安定してきた。
「セメントの供給が止まって2年間袋セメントを手でさばいて投入していたこともある」
「仲間を死なせてしまうんではないかと苦しんだこともある」
「生コン価格が10,000円を割りダンピングで経営危機に陥った時に仕入れ先や職員に苦しいお願いをしたこともある」
時代はめぐり、今は2020年。
今もコロナ禍の只中。
2025に万博が控えているとはいえ世相は不透明だ。
もう時期50周年を迎えるという。
ただ、その前に、そんな時代に竣工することができたプラントに関わってくれた仲間たちに感謝を表するイベントを開きたい。
イベントではみどり社長お気に入りのマジシャンの手品ショーも。
会長からご指名をいただき手品ショーのお手伝いをする僕(笑。
会長の息子石原コウジさんには出来立てホヤホヤのプラントの中をご案内いただいた。
職員の皆さんで記念撮影。
「3バッチが2バッチになりますよ!」
性能がグーンとアップする新プラントに職員の皆さんもハイテンションだ。
頼もしい。
改めて業界の先輩たちの強さに打たれた。
僕たち世代はものに溢れ何の苦労もない時代に生まれた。
「セメントを手で捌いて投入してた」
そんなリアルを経験した会長の世代の根性にはとてもかなわない。
生コンはそんなたくましい人たちが礎を作った産業だ。
そして、今、また生コンは新しい時代を迎えようとしている。
旭のように燃え上がる成長産業ではない。
斜陽産業。
人口減少。
新たな時代の、新しい生コン産業。
変わるべきことと、変わらないもの。
いつの時代も人の情熱が世界の景色を変えるということだけは本質のようだ。
硬い絆で結ばれた泰慶生コンとステークホルダーの人たち。
その円の中にいて感じていたのは自分も産業人の1人としてこのようなドラマを作り上げたいという情熱だった。
新プラント竣工誠におめでとうございます。
これからも素晴らしい生コンで地域に貢献し続けていかれることを心より祈念申し上げます。
宮本充也