2021/04/26
「俺たちがやっていることも歴史になれるようにお互いに頑張らないといけないな」
パートナー野村商店の野村さん(代表取締役)から寄せられた白黒の写真。なんと僕がまだ生まれる前の長岡生コンのプラント写真は野村商店の倉庫に収容されていたアルバムの中から見つかった。古きを訪ねて新しきを知る。「俺たちがやっていることも歴史になれるようにお互いに頑張らないといけないな」。
推定昭和30年代の長岡生コン
こんにちは。
昨年に引き続き断捨離で色々と昔のアルバムとかGWに整理しようと思っていたら、
こんなものが。
うちの橋本副会長と知り合う前だと思う。
昭和30年代?40年代かな!?
長岡生コン初期の頃だよ、これも何かのご縁だね。
今度宮本代表に写真持っていくよ。
(メッセンジャーで共有された勝也さんからのメッセージ)
僕が生まれたのは昭和で言うところの53年(1978年)のことだ。
有限会社 長岡生コンクリートの創業は昭和44年と聞いている。
両親や家族からはその前身に株式会社 長岡生コンと言う会社があったそうだ。
おそらくこの写真はその当時(推定昭和30年代)のプラントを撮影したもの。
GW前に会社の倉庫を整理していた勝也さんがふと見つけ共有してくれた。
長岡さくら工場は17年前にジョイントベンチャーを模索して今に至る。
今さらに新しい形を模索してもがいている真っ最中にこの写真が勝也さんに見出されるのは因縁めいている。
まだ、お互い生まれる前のことだ。
うちのアルバムに何故かあったよ。
最初うちのプラントかと思ったら「長岡生コン」の文字が。
たぶん、そうだよね。
こういう時があって、今がある。
たぶん俺たちがやっていることも歴史になれるようにお互いに頑張らないといけないな。
そう思います
(勝也さんからのメッセージ)
一貫して下りのエスカレーター生コン製造業
日本で最初の生コン工場は昭和24年11月15日操業を開始し、平成19年10月まで活躍した東京エスオーシー㈱業平橋工場である。 最初の生コン出荷日を記念し、11月15日を「生コン記念日」として制定されております。(出典:https://www.sakura-kk.com/publics/index/58/)
昭和24年といえば1949年だから、生コン産業は今72年目を迎えている。
昭和30年代に創業した長岡生コンは相当早い時期に起業したことが知れる。
業界の先輩や古老の話を聞くと信じられない話も少なくはない笑。
世界的にも稀な高度経済成長を支えた生コンクリート製造業の趨勢はドラマチックだ。
勝也さんや僕が知る生コンクリートの趨勢は一貫して下りのエスカレーターだった。
幸か不幸か生コンを商うファミリー企業の子息として生まれた。
互いにいろんな事情があったと思うが、生コンとは一貫して萎んでいく産業だ。
生コンは人口1人あたりに年間1m3消費(使用)されると言われる。
最近では1m3を割っている。
人口半減社会に向けてさらにニーズは萎んでいく。
まだまだシフトチェンジする。
じゃあ、やめちゃう?
売却できる資産を片付けてしまって、今盛んな産業に軸足を移す?
事実その選択をする事業者も少なくはない。
泥舟から避難せよ、である。
一方、現段階では「絶対に無くならない材料」「水の次に流通する材料」生コンであることも事実。
実際、洪水や地震など大災害が起きればいの一番に必要とされる材料の一つでもあり、多くの災害で人知れず活躍している。
伊豆半島に何かが起きた時に郷土を守れる産業は少なくない。
経済合理性だけで割り切れるほど、家族経営の絆は単純なものではない。
そんな僕たちは今新しい生コン製造者のあり方を模索している。
生コンに限って長期スパンで市場が拡大していくことはありえない。
だからこそ、当社ではポーラスコンクリート舗装などに16年前から取り組んでいる
本業が苦しい中でそんなチャレンジができたのももう引退してしまった橋本さんの決断による長岡さくら工場というジョイントベンチャーのおかげだ。
新しい取り組みに対する周囲の理解はなかなかえられにくい。
閉鎖的・保守的産業では何か変化を起こすことは歓迎されるばかりではない。
いつまでも変わらないこと、前例踏襲が良しとされる。
僕たちが今やっていることは結果として地元組合をはじめ生コン産業全体にとって有意義であることを信じている。
だから、多少の逆風に癇癪を起こさずじっくりと物事を決断していきたいと思う。
(ついつい僕は物事を単純化させて決断してしまう傾向がありそのため敵も多い。一方、抜群の安定度を誇る勝也さんは周囲からの信頼も厚く次年度の副理事長就任が決まっている。そんな彼と僕とは名コンビだと勝手に思っている笑)
こういう時があって、今がある。たぶん俺たちがやっていることも歴史になれるようにお互いに頑張らないといけないな。そう思います(勝也さん)
僕も、改めてそう思います。
僕たちのありのままのもがき苦しみが、そのまま同世代の生コンパーソンの役に立つ。
今の時代、閉ざされていない業界ではいろんな地域の同世代の生コンパーソンと繋がれる。
みんな郷土を愛しているはずだ。
そんな郷土を愛する生コン製造者らの地域や枠組みを超えた協同はきっとこの閉鎖的な生コン産業を開放的で実りあるフィールドに刷新してしまうことだろう。
宮本充也