2016/08/02
「生コン?食べ物ですか?」覚悟が最初
僕が生コン工場に入職した16年前当時は、
開発なんか自分には関係ないもの
と思っていたし、商圏(商売できる地理的範囲)が狭く、
1.5時間の壁(JIS規格)
※1時間半以内に荷卸しできる場所にまでしか運べない
があったから、生コン以外にやれることといえば、まあ、
商工会青年部の活動や青年会議所の活動に血脈を上げ、
地域貢献に熱中し、運が良ければ60を過ぎたあたりからようやく周囲からも、
地元名士
などと認められるようになって、なんちゃら会の会長やら役が付与され、
そんなところまで上り詰めたら大成功。
生コンの二代目や三代目の場合、運が良ければお父さんがばりばりの現役で、
息子の出る幕がなく、従業員もぼんぼんなんかではなくお父さんの方を見ている。
そんな環境の中息子は徐々に人間関係の機微を学び、
社外活動で地域社会での人脈を形成し、お父さんが現役を引くころには、
満を持して社長交代
という感じになるのだが、このようなハッピーな経緯をたどれない場合もある。
僕なんかの場合は、
・父64才で逝去、僕当時9歳小学4年生
・共同経営者に会社を乗っ取られる
・経営のことなんかまるで知らない主婦であり母みよ奪回裁判を開始
・「父の意志」の一心で10年間法廷闘争が繰り広げられる
・平成10年に宮本家に経営権戻る
・今に至る
月並みな不幸話はあまり書いても意味がないし、
環境は自らが変えていくものだからなんの理由や言い訳にもならないが、
昔ながらの言い方になるが、
「女手一人」で法廷闘争と家庭の切り盛りをの10年間
そもそも単なる主婦なわけだから、
生コンに関する知識0
仮に僕のように弱い人間が母のような不幸に陥ったら、さっさと株式を売却してとんずらだと思う。
そして僕はそんな事情も知らず今頃母方の親戚が多く住む関東のどこかの町で暮らしていたんだろう。
「生コン?食べ物ですか?」
である。
今もなお生コンに関する専門性なんか一つとして持っていない母(社長)であるが、
当社長岡生コンを今もなお永続足らしめているのは間違いなく彼女の、
「覚悟」
・男だらけの業界
・父方の親戚はみんな敵
・生コンの専門知識0
・地元に味方0
という四面楚歌の状態で、覚悟をもって終わりの見えない裁判に飛び込んだ。
どの家庭もそうだと思うが、僕は母の強さに心から尊敬を寄せている。
まじで命を張っていた女性の姿がそこにあった。
そして、こうした血のつながりが中小企業の強さなんだと思う。
日本の企業の99.7%は中小企業。
星の数ほど全国に僕の家族のような家族経営中小企業が存在している。
みんな、人生・家庭を通して経営(社会における生産活動)に打ち込んでいる。
そりゃあ、覚悟が違います。
ほぼ怨念に近いくらいの覚悟が日本全国の中小企業を支えているってこと。
そして、この「覚悟」が実は一番大切で、他は後からいくらでもついてくる。
スキルや能力よりも「人が本気になったときの覚悟」は、
周りにいやでも伝播して組織に異様な生産性を上げることがある。
そして、生コン。
担い手の大半はそんな地方に分布する家族経営の中小企業。
GNN元気な生コンネットワークのメンバー工場の大半も資本系ではなく、
家族経営
が主となっている。
収縮する経済にあってなにか起爆剤を日本は必要としている。
政府がどばっと降らせてくれる公共事業の予算付けに頼らざるをえない。
そんな工場や地域もきっとあるだろう。
少しでも同じような仲間たち力をあわせて、誰かに頼るのではなく、
自分たちで創り上げる市場
というものを、僕たち中小企業ならやれるんじゃないかと思っている。
覚悟が違う中小企業が交流することによって、
自然と新しい製品が生まれる時代になってきた。
昔は製品開発なんて自分の関与するものだなんて思いもしなかったが、
今では「ただ、覚悟を持った人たちが交流する」だけで新しい付加価値が創造されている。
生コンから日本経済を元気にする。
本気の覚悟の人が集まればできないことではないと思っている。
宮本充也