2021/06/26
「寝屋川コンクリート本田さん、エヌシー産業小西さんにお越しいただきました」

さっきのブログにも書いたように、今関西のドライテックが熱い。10年以上も前、それこそ黎明期から普及に協業してきた寝屋川コンクリートとグループ会社エヌシー産業は新体制でもその積極果敢な企業文化を継承しいよいよ大阪を中心とした関西エリアでの供給体制は充実し始める。
⚫︎参考記事: 【京都】「プロダクトではなく、育まれてきた人と人との血の通った交流」京都福田
寝屋川コンクリートとドライテック
寝屋川コンクリート本田さん、エヌシー産業小西さんが生コンポータルを訪ねたときにお見せした透水サンプル(ドライテック)「うちにもこれ作りましょう」と本田さんがやる気を見せる
左・寝屋川コンクリート4年目の本田さんと、右・エヌシー産業営業部長小西さん。
「ご挨拶のためだけに日帰りで」という帰りの電車の時刻(三島発6時55分)まで決まっていた強行軍の間隙を縫ってパノラマパークの観光や地元寿司だるまでの懇親会を無理やり押し込んだ。
ほんの3時間の間の出来事でしたが新体制寝屋川コンクリートグループの魂に触れることができとても有意義な時間でした。
今度はまたごゆっくりお越しください。
誠にありがとうございます。
伝説の漢山路、そして、新体制本田、小西へと受け継がれる寝屋川スピリッツ
⚫︎参考記事: 「ヤマジマンお誕生日おめでとう」
ブログってマジで便利な習慣だなあって思うことがここ最近特に増えてきた。
振り返れば、この記事は2017年。
当時すでに10年の付き合いをしていた山路さんが工場長をしていた寝屋川コンクリートと当社との関わりは長い。
ポーラスコンクリート(ドライテック)が結びつけたこのご縁は今も続いている。
寝屋川のフロントマン山路工場長は当時大阪界隈では、「ヤマジマン」と言う名で多くの生コン関係者に知られていた。
大阪兵庫広域工組技術の顔見たいな立ち位置でもあって、生コン検索で「山路」と調べればその足跡は詳らかにされている。
実にご縁の深い愛情の熱い漢、それが寝屋川のフロントマンヤマジマンだった。
ご家族、ご親類のご事情もあって、愛の深い寝屋川コンクリートをヤマジマンが離れて数年が経つ。
以降、もちろん関係が絶えたと言うわけではなかったが、同社と当社のコミュニケーションは薄まってはいた。
「ご挨拶に伺いたい」
寝屋川コンクリート次世代のフロントマン本田さんから当社小松職員に連絡があった。
まさか当社を訪ねるだけのためにわざわざ大阪から静岡にいらっしゃるとは思っても見なかったので僕もうっかり別の用事を入れそうになっていたが、彼らの語るドライテック、そして生コン産業、寝屋川コンクリートへの愛情はまさにヤマジマンの再来、いや、それ以上かもしれない。
「まずは、大阪エリアの供給体制を完璧なものに整えたい」
熱っぽく語る本田さん、そして小西さんからは、寝屋川コンクリートに脈々と流れる寝屋川スピリットみたいなものを感じた。
本当に、感動した。
10年以上も前から主に大阪・関西エリアで協業していた同社が新体制となっている。
普及に臨み、集客、施工業者の充実はもちろん大切だが、それよりも何よりも、いわば蛇口とも言うべき供給インフラ(生コン製造者らの協力)が何よりも大事。
独特な産業生コンにあって関西では顔役の寝屋川コンクリートが新体制でもいよいよ本気で動き出した関西エリアの今後からは目が離せない。
とりわけ、寝屋川5年目の本田さんはまだ若く(28歳)これからが期待されている。
ちょうど山路さんと出会い夢に向かって全力疾走していた頃の僕の年齢と同じだ。
本田さんにはぜひ無限の可能性に向かって全力で走ってもらいたい。
辛いこととか絶望の縁に立たされることもあるかもしれないが全力で走っていれば必ず誰にも感じることのできない最高の気分を味わうことができる。
同じ時代、同じ生コンという共通項に恵まれた。
僕の努力が本田さんの支えになれるようなことがあったら幸せに思う。
僕も負けずにこれからも全力で走り続けます。
宮本充也