2021/09/06
「結局最終最後は生コンラストワンマイルが製造しなければ絵に描いた餅」(週刊生コン 2021/09/06)

先週1週間も多くの人々との交流があった。ゼネコン、生コン、サプライヤー、流通、他、全ては生コンの製造に関わる人々と、様々な機会を共有することとなった。「結局最終最後は生コンラストワンマイルが製造しなければ絵に描いた餅」。理想は語るもんじゃない。形にしてなんぼ。(週刊生コン 2021/09/06)
形にするのはラストワンマイル
⚫︎先週の記事1: 「なんと建築学会会長も絶賛!!RRCS座談会《カーボンニュートラル社会に向けた建築設計のあり方》を見逃すな!!」RRCS
建築学会会長、とか。
東京大学、とか。
或いは、日本設計、とか。
気をつけなければならないと普段から自戒している。
ブランド。
看板。
肩書き。
僕が21年前に家業生コンに入職してからこっち、キャリアが長じるに、当初の僕からすれば「雲の上の存在」のような人々との接点が増えていった。
例えば、田舎の生コン屋からすればスーパーゼネコンとか、或いは部長さん、とか、はたまた役員とか、彼らはものすごい人たちのように見えた。
事実、素晴らしい人も中にはいて、僕がご一緒させていただいているそんな人たちは実際に素晴らしい人たちでもある。
そして、振り返ってみればよくわかるのだが、僕のような出自の人間が陥ってしまう罠として、「すごいブランドの人たちと一緒にいることで自分も同じような人になっているのではないか」という錯覚というか、エゴというか、欺瞞。
建設産業は厳然たるヒエラルキー構造を前提としている。
いわゆる、底辺としての生コン工場。
それが、僕の出発点だ。
そこから眺めていると、ご縁が生まれたブランド、大資本、肩書きはエゴまたは虚栄心を満足させるような甘い蜜のようものだ。
甘い蜜を舐め過ぎると体を悪くしてしまうように適正な判断や行動ができなくなってしまうことがあるのだと思う。
肩書きやステータスに溺れる。
まるで、自分が、そんな素晴らしい人々と同様に人々から尊敬を集めることの妥当な立派な人間だと錯覚・誤解する。
人は称賛され崇められることに弱い。
結果、何の成果も生まれない。
そんなことが往々にしてあるということに僕は気づいている。
批判的な言い方のように聞こえるかもしれないが、ブランドとか高邁なコンセプトは果たして世界の景色を変えることはない。
コンセプトを否定しているわけでは無論ない。
コンセプトがあるからこそ、その上にあらゆるものが構築されていく。
毎度引き合いに出して大変恐縮だが(此方も批判しているわけではない)再生骨材コンクリートというテクノロジー領域がある。
誰もその普及の必要性に異論は挟まない。
誰しもがその普及を望んでいる。
そして、その再生骨材コンクリートは我が国において50年近い歴史を数えている。
気づく。
そんな再生骨材コンクリートが全く標準化していないばかりか、年々その市場を減少させているというのが現実だ。
気づく。
生コン総生産量の1%にも満たない、とても「汎用製品」とは呼べないような状況に甘んじているという現実に。
何が必要か。
それは、従来のヒエラルキーでは「底辺」として規定されてきたラストワンマイルの意識や行動を変えなければ、結果として世界の景色は変化しないのだ。
⚫︎先週の記事2: 【静岡】「どう?これ?残コンをリサイクルして作った生コンに見える?」ECON NEO
⚫︎先週の記事3: 「完全にカーボンマイナスなコンクリートが生まれた1週間」(週刊生コン 2021/08/30)
ぶっちゃけ野郎の僕だとしても、NDA案件だったりなどブログに好き放題なんでもかけない場合がある。
先週もそんないわゆる「重要」なミーティングのいくつかに参加していた。
現在、全ての人や企業がこぞってその技術力を競う脱炭素コンクリートだって僕に言わせりゃ単なるコンセプト。
誰もがその必要性に異論を挟まない。
世界が希求する。
数多くのブランドや大資本が参画する。
それが、「最先端」とされ持て囃される。
そして僕は知っている。
そんな「最先端」と持て囃されるそれら全てのプロダクトは現在の延長では果たして普及は起きないことだろうことを。
僕の大変尊敬する人々も含まれている中でこんなことを言うのはとても不遜のように映るかもしれないが、それが現実なのだ。
今の延長を企図するのであれば、脱炭素コンクリートの群れも全て現在の再生骨材コンクリートが歩んできた道を踏襲することになるだろう。
簡単に言えば、「売れない」。
一部の「一流」と言われる人々にとってのおもちゃ、自己満足で終わる。
そのことを僕は嫌なほど切実に知っているのだ。
⚫︎先週の記事4: さらば《防草シート+砂利(砕石)敷き》 or 《固まる土・固まる砂》という常識! 費用たった600円(平方メートル)の水はけ・雑草対策コンクリ《オワコン》登場!!
ポーラスコンクリートだって、そうだった。
「水を通し、水資源を地下水系に還元し、ヒートアイランド現象を抑制し、利便性は確保され、土壌を潤し、耐久性に秀でている」
誰もその普及に反論はしない。
誰もが必要性を強調する。
だが、果たして、誰がそのテクノロジーをスタンダードにしただろう。
どんなブランド、どんな大資本、どんな肩書きが、それを達成しただろう。
一体誰が、この「理想」を「現実」のものにしただろうか。
冷静に見つめなければならない。
ご存知のように、誰も、それをいまだに達成していないのだ。
問題の根本原因はなんだろうか。
コンセプトにあるのだろうか。
現在の産業を規定する構造には未来の世界が求める成果物をアウトプットする機能がないのだと、僕は現在判断している。
比喩は難しいけれど、いかに高性能だったとしても、悪路をスムーズに走行するように設計された車両ではF1レースでは勝てない、と言うことだ。
求められるアウトプットがそもそも違う、と言うことが、現行の産業構造・ヒエラルキーにも同様に言えると言うのが僕の主張だ。
必要なのは、再設計、再定義。
壊す、ではなく、変化する。
時代は急速に脱炭素、リサイクル、サステナビリティに向かっている。
そして、その要求に対して僕たち産業もその成果物をアウトプットすることを求められている。
その世界にあって、僕たちラストワンマイルは果たしてこれからも「底辺」のままでいいのだろうか。
確かに僕も「東大」「京大」とか「スーパーゼネコン」とかいうビッグネームには一瞬たじろいでしまう。
でも、冷静でいなければならない。
そもそもが、役割が違う。
とあるコンソーシアム(NDA案件)で僕の恩人が仰った言葉に感銘を受けた。
「脱炭素を達成するのはゼネコンの仕事じゃない。生コンの仕事だ」
生意気なようだけど、「その通りです」とついつい反射的に答えてしまっていた。
どんな相手にも僕は堂々とこう言おう。
「結局最終最後は生コンラストワンマイルが製造しなければ絵に描いた餅」
これが、事実なのだ。
だから、僕たちラストワンマイルの意識と行動を変えない限り、僕たちが理想とする世界は永久にやってこない。
宮本充也