2019/11/12
「怖いのは僕だって一緒です」郷土に溶け込む理想の生コン事業所とは?(その1)
毎月定例となっている長岡さくら工場の朝礼では事業所そして利害関係者全てを巻き込んだプロジェクトが始まっている。いつまでも、もとめられる。郷土に溶け込む理想の生コン事業所とは?
いつまでも求められる生コン事業所
長岡さくらの朝礼では特に形式を作らず「話す内容がある人」「伝えたいことがある人」が前に出て意見を発表する。
ミーティングはすべての人に開放されている。
今朝(2019/11/11)はとても寒かったので普段使わない会議室を利用した。
議事録はすべて回覧され、メッセンジャーグループに共有される。
通気性の高い取り組みにしていきたいというみんなの想いがある。
「どうなっちゃうか不安です」
前回の朝礼で僕から提案した「新しいあり方を模索しよう」に関して。
https://www.nr-mix.co.jp/topics/post_460.html
僕には直接聞きづらいのかもしれない。
まだ、「代表取締役」とか「社長」なんていう余計な肩書きが組織・事業所の中に壁を作っているのかもしれない。
社長とみれば普通より恭しく丁寧に挨拶する。
それが、常識なのだろう。
ただ、社長という肩書を名乗っている僕は所詮単なる人。
社長じゃない人と同じように悲しくなったり寂しくなったり、イラついたり、物に当たったりする。
本当に小さな人間だ。
だから、壁なんかないほうがいい。
ほかのみんなと同じように接して欲しいと願ってる。
特別扱いなんかしないで欲しいって思ってる。
「どうなっちゃうか不安です」
僕ではなく、話しやすい人に「これからどうなっちゃうのかな?」と相談を寄せる。
それは、まさつぐさんだったそうだ。
朝礼でその話を引用して僕はこういった。
「怖いのは僕だって一緒です」
僕は特別強い人間だから社長をやってるわけじゃない。
本当に、たまたま、社長になっちゃった、ってのが真実。
経営者ってものになりたくてなってるわけじゃない。
「どうしたいか」という自分を持って踊りに参加するように。
こうもいった。
「変化しないということを選ぶこともできます」
忘れて欲しくないのは、「選ぶのは自分」だってこと。
たまたまかもしれないけど、みんな「長岡さくらという事業所で働くことを選んで」今がある。
前向き、後ろ向き問わず。
結局、選んでいる。
それは誰が選んだかって、自分自身。
僕だって、幸か不幸か(幸福ですよ)長岡生コンの代表取締役を選んで今がある。
結局誰がって「自分が」選んで、すべての今があるはずだ。
「どうなっちゃうか」から「どうしたいか」になってみる。
自分が当事者であることを改めて考え直してみる。
すると、きっともっともっと「こうしたい」という新しいアイディアが生まれてくるはずだ。
「変化」について。
これは、朝礼では言えなかったこと。
でも、変化の本質とはこういうことなんだと思う。
川に飛び石が浮かんでいて石と石の幅は1m〜1m50cmくらい。
こちら側から向こう岸まで飛び石がいくつかある。
向こうへ移動しなければならない。
まず、1つ目の石にちゃんと飛び乗ることはできるだろうか。
自分の脚力はこの距離を跳躍することができるだろうか。
決心して飛んでみる。
一瞬の真空。
その後に向こうの石に見事飛び乗れているかもしれないし、ざぶんと川に転落し水浸しになっているかもしれない。
これが、「変化」に付きまとう「恐怖」のたとえだと思う。
変化にはもう1つある。
楽器を演奏したことがある人ならジャズのセッションのような。
あるいは、即興演劇をしたことがあるのなら、関係者が次々とおこなうアドリブが一つの物語を紡いでいくような。
まるで、日々繰り返される細胞分裂のように。
その場で「必要」を感じとって姿形が変容していく。
A地点からB地点に決意をもって跳躍するような変化ではなく。
新陳代謝や細胞分裂のように、一定期間経過してしまったらすべての細胞が入れ替わってましたみたいな変化。
振り返ってみればまるで形が変わてしまう「進化のような変化」。
そこに、「恐れ」はないはずだ。
日々刻々、環境(市場と顧客)が自分たちに求めていることを察知して分裂する細胞のように。
僕たちが選ぶべき変化は後者「進化」であるべきだと切に願う。
そして、幸か不幸か経営者として役割を持つ僕がやるべきこと。
それは、そんな変化「進化」が許容される枠組みを整備すること。
誰もが自分の意見をくったくなく発表できる。
誰もが招かれ歓迎される組織構造、枠組み。
風通しが良く誰もが主体者として参加できる場所。
そんな通気性の高い組織構造を新たに作ってそこで上記の実験「郷土に溶け込む理想の生コン事業所とは?」を促すことだと思う。
その2では、そんな組織構造について自分なりの考えをまとめたい。
別にその形を強制したいというわけではない。
誰もが参加し発言することが一番大切なことだと信じている。
宮本充也