2019/03/01
毎日ブログ3本以上が【石の上にも3年】を達成しました。
※本稿は著者(宮本充也)のFacebookに投稿されたものです。
ブログを毎日3本書き始めた日からの3カ年のユーザー数の推移。今では当たり前のように、2000名が閲覧するようになっている。
確認できる最古のブログは2015年に書かれたもの。今の形式とはまるで違う。https://www.nr-mix.co.jp/dry_tech/blog/post_10.html
ランニングを習慣にし始めたのもこのころ。「継続は力なり」「習慣」というものの重要性を強く意識し始めた。
2019/02/28で36ヶ月1日も欠かさずブログを3本以上書いたことになる。
(本日で、36ヶ月と1日を達成)
「1日1本でも大変」
「1週間でやめちゃった」
そんな風に語られる、
・ブログを書く
という行為のきっかけになったのが、2015年夏に受注した1件の透水性コンクリートだった。
長野県の一般の方からの1本の電話。
「HPみて透水性コンクリート面白そうと思ったから、うちの出入りの業者に見積もり出しといてよ」
それが結果的に3桁万円の受注となった。
長野の一般の方の広大な庭へ透水性コンクリートの供給。
予想もしていなかった、突然の売り上げと利益。
その現実を構成していたのは、
・インターネット
・企業間連携
という2つの要素だ。
(2011年4月に発足したGNN元気な生コンネットワークは全国の生コン工場の地域や枠組みを超えた連携をすでに創造していた。)
つまり、
・インターネット
がきっかけとなって透水性コンクリートという価値は長野県の一般の方の目に触れ、
・企業間連携(GNN)
があったからこそ、静岡県の生コン工場の価値が長野県内の生コン工場の協力を得て、その土地に届けられることになった。
「これだ!」
雷に打たれたような衝撃的な出来事だった。
生コンといえば、1時間半以内に届けるという商圏の鉄のルールが敷かれている。
静岡県の生コン工場の価値が遠く離れた長野県の一般の人に届いた。
それまでの常識では絶対にありえない出来事だった。
「これからは生コンもインターネットだ」
その事件の後、僕たち長岡生コンはブランド名・のれんを、
「生コンポータル」
とし、企業間連携とITで生コン・建設市場の流動性を高める取り組みを始めた。
「1日1本ブログを書くのが大変なら、3本書いてやろうじゃないの」
持ち前のノリと勢いで始まった「毎日ブログ3本」が今何をもたらしているか?
雨の日も、風の日も、文字通り風邪の日も、二日酔いに苦しむ朝も。
1日も欠かすことなくブログを3本書き続ける。
2016年3月1日にスタートして、春を迎え、夏が過ぎ、秋が来て、そんな繰り返される毎日。
底が無いように口を開ける暗闇にひたすら石を投げ続ける。
音がない。
ひたすら反応がない。
それでも、あの時の衝撃と自分たちを信じて。
必ず、生コン産業にもITが必要。
きっとその先に何かある筈。
その一心で。
書けども書けども長野県の一般の人のような人は再び現れない。
たまに問い合わせが来ても殆どが冷やかしのような連絡。
2年目を迎え、1年目とそれほど変化の無い日々がひたすら続く。
生コンにも企業間連携とインターネット(IT)を組み合わせる。
その最初の1ヶ月の透水性コンクリートへの問い合わせ件数。
「たった、2件」
しかも、成約しない、興味本位の問い合わせ。
それが、36ヶ月経った今どうなったか?
「毎日、2〜5件の問い合わせが寄せられている」
(3年前の25〜70倍程度の問い合わせ件数)
これは、GNNの有志らも実際に感じていること。
ほぼ、毎日顔も見たことのない一般のどこかの人から。
透水性コンクリートに興味を寄せて連絡を寄せてもらえるようになっている。
そして、いずれの問い合わせも真剣な相談で、実際に納品させていただいている。
そして、それらは全国の、企業間連携を通して出会った生コン工場から具体的な形を帯びて届けられている。
・インターネット
・企業間連携
いづれもいわば「形のない」虚構。
なのに、その虚構はこれまでにない物流をこの現実に生み出している。
今までになかった実際の形がこの現実社会に形作られている。
静岡県の生コンが生み出した透水性コンクリートが実際に長野県の一般のお施主さんに届いている。
「生コンにインターネットなんて絶対無理」
当時誰もがそう思っていたと思う。
僕自身、冷静になってみると「生コンにITは流石にないっしょ」というのが心のどこかにあったのは事実だ。
誰にも読まれなくても。
バカみたいと嗤われても。
そもそも、当の僕自身が1番「バカみたい」と思っていたわけだし。
それでも続けた。
「毎日ブログ3本以上3カ年1日も休まず書く」
言葉として書いてみるとなんてこともないようだが、実際にやりつづける過程であらゆるものが変化した。
そして、今。
確信を持って言えることが1つある。
生コン産業の再生には、企業間連携とIT(インターネット)が絶対不可欠。
もし、この取り組みがなければ、斜陽産業として永遠に底の澱から抜け出すことはできない。
この確信はやってきた僕たちにしか見えない景色でありどんなに説明を弄してもきっと伝えることはできないだろう。
企業間連携とインターネットによる情報発信に協力してくれた全ての仲間たちと今日という日を祝いたいと思う。
普段こうした所感をSNSにアップすることはない。
そして次にSNSにこのような散文をしたためるのは、7年後、10年を迎える時になるだろう。
毎日3本以上365日10カ年。
その時僕たちが眺めている景色はどんなだろうか。
たった3年で2016年3月に見えていた景色はガラリ変化した。
その3年でいろんな出会いがあった。
これからも、さまざまな出会いがあるはずだ。
地球の自転のように、毎日毎日必ずブログが3本以上更新されて、都度サイト構成やパートナーとの出会いによって情報発信のあり方も変化して。
それでも、
・IT
・企業間連携
という軸は変わらない。
丸10年経った時の景色は、当然10年間やり続けた人たちの目にしか映らないことだろう。
僕は今からその時のことが楽しみでならない。
明日も、そして明後日も。
「生コン」
をテーマに僕たちは情報を発信し続ける。
「生コンに情報発信は不要」
そう信じられてきたこの産業。
そして、今。
もう僕たちの情報発信を軽んじることはできないはずだ。
・インターネット
・企業間連携
僕たちはもしかしたらとてつもない変化の只中にいるのかもしれない。
そして、向こう側には、僕たち自身も想像できない、一人ひとりが主体性をもって働くことのできる生コン産業。
仕事を通して充実を得られる、心から誇れる生コンがあるのだ。
それでは、また。
7年後に、その時に見えている景色とともに語られる日まで。
次は10年目に再び。
変わらず、
生コンでいいこと。
チーム生コンポータル
宮本充也