2016/11/15
「今日は生コン産業67歳の誕生日」新しい生コン業へ
今、東京スカイツリーがそびえたっている場所。
まさに、67年前の今日、
日本で初めての生コン工場(という業態)が操業を開始した。
世界でもまれに見る高度経済成長を支える生コン業界の最初だ。
生コンに従事してからたった足かけ16年しかたってない僕にとって、
67歳の生コン業には本当に感謝しなければならない。
創業時は果てしない夢を向こう側に想像して、
多くの青年たちが胸を高鳴らせて日本経済の発展を願い、
その1日を迎えたんだと思う。
現代を生きる生コン従事者は、この67年という産業を支えた、
すべての先人たちに敬意を払って、今日という一日をすごすべきだろう。
一方、生コン業という業態はいつまでつづくのか?
「水の次に流通する材料」
「インフラ基礎資材」
として、不動の地位を確立している生コンクリートという製品。
多くの技術者がそれに代わる製品の開発に努力をしているが、
大方の見方は、
「そう簡単には誕生しないだろう」
と言われている。
僕自身、生コンクリート(および鉄筋コンクリート)を知れば知るほど、
実に奇跡的な素晴らしい建設資材であることに驚きを深め、
更に、生コン業という職業を選んだことに対する誇りを感じる。
すべては変化する。
素晴らしい材料であるということと、
変化しなくていいということは同じではない。
67才、そしてもう少しで70(古稀)を迎える僕たち産業は、
長いこと変化を避けてきた。
技術者や事業者もあまりにも需要が当たり前すぎて、
いつしか業界の外(→顧客や社会)を観なくなってしまったように思う。
自分たちの地位が先にあって、社会貢献は後。
そんな風潮を僕は言葉を選ばなければこの業界に強く感じている。
結果的に、生コン産業は内向きにそのエネルギーを注ぎ込み、
広がりのない閉鎖的な産業になってしまったことは、
需要のピークアウトから2,000工場近く減ってしまった現在を観れば、
疑う余地はない。
そして、現在全国のほうぼうの協同組合(カルテル)は、
その存在意義を問われて混迷している。
変化。
絶対になくならない(かもしれない)製品だとしても、
あり方は変わらなければならない。
社会のサイズ(人口・マーケット)が半分になるのであれば、
僕たちの在り方もそれに合わせて変化しなくてはならない。
それは、M&Aや資本提携のような形かも知れないし、
新事業や新製品の取り組みかもしれない。
これだけは言えるが、
「赤信号みんなで渡れば怖くない。需要減った分値段あげちゃえ」
は絶対に間違っている。
どのように、子供に説明をするのか?
きっと30年後、50年後に振り返れば、
新しい生コン業という視点から今を懐かしむことになるだろう。
今を生きているのは、まぎれもなく、僕たちだ。
今、生コン産業に従事している僕たち一人ひとりが当事者であり、
変化の主役になっている。
今、どのように生きるか。
どのように、あるべきか。
今を生きる人たちが目を背けてはならない命題であり、
僕たち自身で新しい生コン業を創造していかなければならない。
宮本充也
「○○億円?! GNN ワークショップで何が起こっているのか?」
〜その秘密全部お話しします〜 GNN ワークショップ活動報告
金沢生コンクリート/東伸コーポレーション/みつわ/白石建設/長岡生コンクリート レミックマルハチ/三興開発/伊藤商店/金子コンクリート
プレゼンター GNN ワークショップアソシエイツ 佐藤 智明氏
※参考ブログ