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生コン屋のIT戦略「パーソナライズド検索」きゃりーぱみゅぱみゅに勝つ

生コン屋のIT戦略「パーソナライズド検索」きゃりーぱみゅぱみゅに勝つ

「ビール」→約 35,300,000 件 (0.73 秒)

「きゃりーぱみゅぱみゅ」→約 604,000 件 (0.39 秒) 

「イエス・キリスト」→約 575,000 件 (0.44 秒)

「日本」→約 984,000,000 件 (0.94 秒)

「ユニクロ」→約 9,450,000 件 (0.73 秒)

「そば」→約 67,800,000 件 (1.08 秒) 

上記、なんの数字かわかるだろうか?

ちなみに、「生コン」→約 486,000 件 (0.66 秒)

となる。
そう、ここまで書けばお分かりの通り、Google検索した結果ヒットした件数。
つまり、世の中の情報発信の数、といってもいいだろう。

現実というやつは実に残酷だ。
・水の次に流通する、
・65年以上の歴史を持つ、
・人々の生活になくてはならない重要基礎資材、
「生コン」486,000
は、
「きゃりーぱみゅぱみゅ」604,000 
に負けているのだ。

ちなみに、
「きゃりーぱみゅぱみゅ すっぴん」→約 288,000 件 (0.43 秒)
となっているため、かろうじて生コンはすっぴんのきゃりーぱみゅぱみゅに勝っているということになる。

1か月ほど前のブログに、
「1か月後に生コンの検索でZENNAMA(当時1位)を抜き去ります」
と豪語していたのが懐かしい。

「パーソナライズド検索」
という言葉を知った。
昔のぼくのイメージでは、
・より人気のあるページが検索上位に来る
と思っていたのだが、
現代ではこの「パーソナライズド検索」という機能により、
・検索する人個人に併せて検索順にが変化する
仕組みになっているため、
「1か月後に生コンの検索でZENNAMA(当時1位)を抜き去ります」
は事実上ルールに適さないことになる。
あえなく発言を撤回せねばならない。

現在の僕のブラウザにおける検索順位は依然としてZENNAMAが1位で、
長岡生コンは3位にランクインしている。
みなさんのブラウザで、自分が管理しているページなんかをたまに検索したりすることもあろうかと思うが、
実は個人ごとのブラウザによって検索結果が全く違うので注意が必要となる。

さて、きゃりーぱみゅぱみゅに負けた生コンだが、
僕は逆に「これは、あり」だと思っている。
まあ、イエス・キリストに負けるのはいいとして、きゃりーぱみゅぱみゅに負けるのは、ありではないかもしれないが、
「それだけライバルが少ない」
ということを示す事実だということだ。
ちなみに、「多部未華子」→約 430,000 件 (0.41 秒)という結果には、
かろうじて重要インフラ基礎資材としての沽券を保ったという事実をここに付記しておく。

世の中にどれだけ「生コン」で検索する人がいるかは判然としないが、
分母が少なければ少ないほど僕たちのページに到着する見込みが増えるということ。
パーソナライズド検索のおかげで、当初の見込みが外れた結果となった、
長岡生コンクリートのIT戦略ではあるが、
やればやるほどあらゆることがわかってくる。
そして、過去これまでの全てもそうだったように、
続けているといろいろなアクションが起き、
そして、その都度学習することがあり、
いつのまにか5年10年振り返ってみると、
多くの人とのつながりや成果(売上や新製品開発)が生まれるの現実。

まだ、3か月ほどしか経過していないIT戦略だが、
確かに分母が少なければ戦略上有利かもしれない。
ただし、
「生コン」
がきゃりーぱみゅぱみゅに負けているのはある意味なしなので、
業界全体がもっともっと情報発信を高めて、
出来るだけ多くの人に生コンの存在を理解してもらえるようにするためにも、
日々の自分の努力を怠らないこと以外に方法はない。

宮本充也

生コンの未来へ「NR Times10周年・創業50周年の記念誌作成」

生コンの未来へ「NR Times10周年・創業50周年の記念誌作成」

生コン屋にとって創業50年はまだまだ若い。

長岡生コンは僕の父が狩野川台風被害の復興を契機に創業したと聞いている。


狩野川台風とは、

1958年に発生した、固有名のつけられた最初の台風。

伊豆半島に暮らしている人はなじみの深い自然現象で、

5000人以上が亡くなった災害。

狩野川とは、伊豆半島を南から北に流れる一級河川。

唯一太平洋側では南から北上する珍しい川として知られる。

普通、日本の背骨に当たる山脈からわいた水が日本海なり太平洋なりにそそぐのだが、

唯一狩野川は天城連山を水源とし、いったん北上するものの、富士山の裾野に阻まれ、

大きく蛇行して沼津を経由し駿河湾に注ぎ込む。

暴れん坊な川であることは想像に難くない。


非常に危険な川であったため、バイパスを作ってその勢いを緩和させる大公共事業、

狩野川放水路

が計画され、そこで必要となった生コンクリートを供給するために、父辰雄は操業を決断した。

そこからいろいろ色々ありまして、今ブログを書いている宮本が長岡生コンの経営を指揮している。


そして、50年が経過した。

昔5000人以上を殺めた河川とは思えないほど優雅な流れは、

ランナーである僕や地域の心象風景として憩いの場となっている。

美しく豊かな自然として享受しているこれら平安な暮らしも、

実は人の手が加わった放水路が守っていることはあまり知られていない。


僕も含め、豊かな暮らしを人は当然なものとして享受する。

ただ、その裏側には多くの専門家の仕事が潜んでいる。

これからはどうか。

南海トラフが30年以内に起きる確率は70%という発表があった。

東北大震災が引き起こしたことを思い起こせば、物事の本質はいやでも思い出すことになる。

何事も自分の立場からだけでなく、社会が必要としたからこそ存在している様々な立場に創造力を働かせ、

賢明な判断をする必要があると思う。


そんな50周年に、僕たちはできる限り「お世話になっている」人たちのお言葉をもらいたいと思っている。

仕事の合間にステークホルダーにインタビューするので、数は多くならないし漏れも出てしまうと思うが、

できるだけ当社を支えてくださった皆様の想いを頂戴し、

それを、50周年記念誌としてまとめたいと思っている。

50年前を、僕がこうして当時のことを振り返っているように、

50年後に、だれかがこうして今を振り返られるように努めることも、

今僕たちができる大切なことだと思う。


宮本充也

生コン屋のIT戦略「国交相も経産省も人」

生コン屋のIT戦略「国交相も経産省も人」

僕たちは僕たちの価値を、

これまで「地元静岡県東部地区の建設業」に発信してきた

それ以外に発信する必要がなかった

 

経産省が管轄の日本工業規格が生コン屋を指導している

JIS A 5308→1時間半以内に生コンお届けしなさい

という規格により、ほとんど全ての生コン業は

その価値を地域の法人・個人に向けて発信している

そんなさなか、前期後半戦から、

ITを通じて僕たちの製品を「地域の外」に納品するケースが生まれた

 

経済産業省の指導で、

「生コン屋多いから、市場規模に合わせて、減りなさい」

と言われている僕たち生コン屋は、

ピーク5000工場以上全国に点在していたが、

その濃度は減り、現在3400工場を割り込もうというところ。

国の発展を支えるために拡大してきた産業も、

「まだまだ減りなさい」

と考えられている。

「あんまりたくさんいると過当競争で君たちはすぐにダメな生コン作るでしょ?」

と目されています。

 

生コン産業の担い手は、「吹けば飛ぶ」中小零細企業

社会環境や国家の情勢がどうあれ、

ほとんどが家族経営で命がけ

だから、減りなさい、わかりました、というわけにはいかない。

ポジティブに考えれば、

「おかげさまで、GNNができました」

ということができる。

農業のように、補助金や規制でずぶずぶにされ、

真綿で首を絞めるようにされていないだけ、

まだまし、ともとれる。

そもそも市場原理が真実であるし、

「国が守ってあげますよ」

そんな幻想から早めに目が醒めることができて、

めでたしと思わなければならない。

 

先日の国交相パブリックコメント

「生コンのゴミ由来の回収骨材をつかってはいけません」

というのは、経産省「循環型社会に配慮しなさい」という指導と矛盾する。

回収骨材というのは、戻ってきた生コンを水洗いして、

取り出した原料のこと。

どこの世界でも「もったいない」精神のもと、使えるものは使うはずだし、

それが美徳となっているはずなのだが。

 

生コン業や建設業は地域社会のインフラを整備するため、

国が指導して今があるのは事実。

ただ、ここにきてIT経由で

「国の指導の前提」ではない「地域の外」からの引き合いが多数寄せられる

たった数ヶ月で生コンの売上の10%に及ぶ月もある。

国家が前提としてきた経済成長が崩れ、

国に頼らず、自分たちで価値を探してきて努力する必要が生まれ、

GNNなどのような連携が発生し、

その中で新たな付加価値が創造され成長し、

それらが、国ではない、新しい市場(販売先)につながった、

そうゆうことだと思う。

 

3400ある生コン工場が、

上を向いて口を開けて待っているか、

自分自身を見つめ、チャンスをつかみに動き出し、

自発的に動き出せば、国の指導なんか及ばない新しい市場が見つかり、

それはすなわち、新しい中小零細企業のあり方となる。

国の政策はそうゆう意味では僕たちの行動の動機づけとなる。

経産省も国交相も人、

あまり多くを求めず、まずは自らができることを考えなくてはなりません。

 

宮本充也

三次元設計「仕事と遊びの境界がない」

三次元設計「仕事と遊びの境界がない」

子供のころから慣れ親しんでいる風景、

実は誰かが作っている。

田舎に住んでいる僕も含め、多くの人は普段気にすることもないだろう。

だけど、目を凝らしてみると、手が加えられていることがわかる。


小学生からの友人で土木マンの大矢洋平(正治組)に今日はたっぷりと土木についてレクチャしてもらった。

「三次元設計」

という概念が実に面白い。

僕は生コン屋→材料メーカー、だから測量だとか設計だとかは門外漢。

通常土木屋は現場が決まると発注者(主に国県市町村)から渡された設計図書に基づいて工事を始める。

具体的に言えば、図面(平面図・立面図等)に引かれた線や面を、

現実の形にしていく。

それらは、紙に描かれた二次元の概念だから、

・設計者の頭の中にある三次元イメージが二次元の図面に細分化され

・契約がなされ

・改めて現場を仕切る技術者の頭の中で二次元を三次元イメージに変換し

・それを形にしていく

そんな流れだそうだ。

現場を仕切る技術者の頭の中での変換、変換の過程でその作業を補うために、

「丁張」

chohari.jpg

(↑こんなの)

と呼ばれる道具を使って2つの二次元図面を現実の場所に再現していたそうだ。


三次元設計・測量という技術がある。

それは、与えられた図面から三次元設計図面を起こし、

そのデータを測量機(トータルステーション)に記憶させて、

リアルタイムに正確な位置を知ることができる技術。

これによれば、もはや「丁張」はいらない。

そして、MC(Machine Control)という概念は更に、それらすべてを作業機械に搭載することによって、

測量機すらなくとも、自働的に提供されるガイダンスに従っていれば、作業ができちゃう。


曰く、こうした技術は今のところまったく一般化されていないそうだ。

僕の経験から言ってもなんとなくわかる。

「これやったらすげー楽なのに、なんでみんなやらないんだろう」

という疑問。

大矢洋平は目を輝かせて、まるで新しいおもちゃの可能性に胸躍らせる少年のように、

「仕事をしている」

面白すぎるから、寝食を忘れる。

寝ても覚めてもそのことばっかり考えている。

だから、さっさと三次元設計を身に着けてしまう。


一般的にこうした技術が浸透しないのは、

「仕事だから仕方ない」

と思っているから、とりあえず「やれ」とか「やらなくちゃ」となっているものについては、

自分の、

・時間

・労務

を必要最低限提供するという発想になってしまうのだろう。


YDNやんちゃな土木ネットワークやGNN元気な生コンネットワークには、

遊びなんだか仕事なんだか、ほぼほぼ境界線がなくなってしまって、

たのしそうにしている人が実に多い。

そんな人ばかりが集まるから、無限のアイディアが生み出されて、

そこには、自然と新しいことやスリリングなことが、集まってくる。

「仕事だから」

という動機で生み出されたものが面白いはずがなく、

ひたすら面白いからやっていることが、つまらないわけがない。

僕たちは業種の垣根を超えて連携し、

互い役に立つアイディアを交流させている。


当たり前のことだが、

そんな心躍らせる少年・少女のみんなが作っている道路や橋やビルを、

世間の人は使いたいに決まっているはずだ。


宮本充也

「生コン屋の技術提案」蟻地獄にならないために

「生コン屋の技術提案」蟻地獄にならないために

橋やらビルやら鉄塔やらインフラ沢山ある。

昔は「安く作る」提案をしたものが受注する仕組みだったが、

現在はコストはもちろんだけど、

「いいもの」→いかに革新的な技術を想像したか

に対して評価する→総合評価方式が採用されている。

このうねりは、人口が減り、創造から維持延命化にパラダイムシフトする中で、

さらに加速するんじゃないかと思っている。

 

そうゆう環境の中、生コン業の求められる姿は変化するのが自然。

これは悪口のように聞こえるかもしれないが、

僕は生コン組合のことを「蟻地獄のようだなあ」と感じることがある。

というのも、それぞれの地方ごとに組織されている生コン組合は、

自ら市場を創造するということではなく、

ひたすらその土地に需要が発生するのを、

「待っている」

大きいプロジェクトが現れると、支店業者と呼ばれるゼネコンは、

自らの技術力を武器に応札し、一番札が受注することになるのだが、

 

「受注したゼネコンは獲物」

 

生コンの原価がいくらだろうが、

品質がどうあろうが、

生コン組合が提示した

・金額

・工場

を買うことが義務付けられるケースがあるのだ。

 

こんなだから、基本的には生コン業界は閉鎖的。

新しい技術に進んで取り組もう

なんて発想になりづらく、

コストがかさむのなら

「ええい、しかたない、ゼネコンからふんだくれ」

とまではいかないが、それに近いことが起きていたりもする。

全てではないにしても、

ゼネコンの若き技術者はそうした仕組みにとても苦労し、

生コン工場の中にいる若き技術者も、その仕組みに自由を奪われている。

 

今、上述した産業構造に変化が起きようとしている。

これまでの不可能要因であった、

・地域

・枠組み

・資本構成

・業種区分

などを超越して、個人が自由に交流できるプラットフォームがある。

「どこに住んでいるか」

「どこが操業土地か」

が重要なパラダイムだったのに、

今や、

「どんな想いを持っていてどんなことができるのか」

がより上位のパラダイムになりつつあるのだ。

僕たちが参加している、

・GNN元気な生コンネットワーク

もそうだけど、

・ASJアーキテクツスタジオジャパン

・YDNやんちゃな土木ネットワーク

・その他同業者の垣根を越えた連携(コンクリート圧送業にもあるようだ)

が益々増えている。

これまでは、「同じ地域にいるから仲良くしとかなくちゃね」

だったのが、

これからは、「違う地域だし、好きな人とだけ仕事をしよう」

となっていく。

 

そんな時代に、

僕たち蟻地獄がひたすら待っていたら、

どうなるか?

自分自身を信じて、

自分が好きなことに集中して、

組める仲間と組む。

それができる時代に、僕たち生コン工場ができることは沢山あるはず。

 

蟻地獄の蟻が歩けるかどうか知らないけれど、

僕たちはとにかく歩いてみて、

本当に感動できるものに触れてみて、

それを自分のものにして、

「技術提案」

という形に昇華して、

きちんと社会貢献をする必要があると信じている。

 

宮本充也

長岡生コンクリート
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