長岡生コンクリート
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「生コンと全生」長岡生コン

「生コンと全生」長岡生コン

昨日のブログで僕は1か月以内に「生コン」という検索ワードで、

全生を押さえて、1位になると書いた。

つまり、5月16日の時点で、そうなっていないとならないことになる。

決めてから、どうやるかを考えているわけだが、

必要なことは、

・コンテンツ力を充実させる

・更新頻度を維持する

の2点という、あまりにも原理原則的な話で、

どんな分野にも「近道はない」ということを思い知らされる。

生コン産業の歴史は66年と言われている。

僕が生まれる相当にだいぶん前から、

「生コン屋」

という存在があったということだ。

先日ランニングで東京スカイツリー周辺を見て回ったが、

ちょうどあの真下に、日本で最初の生コン工場があったと聞いている。

skytree1.jpg

生コンを15年やってて、つくづく思うのは、

・操業している場所めっちゃ重要

てことです。

これは、もう、本当に悔しいくらい、真理です。

・橋やビルが建たない場所

・人がいない場所

・大変な山奥

こうした場所ではどんなに優秀な頭脳明晰な生コン経営者が経営の指揮をとったとしても、

「需要ないっす」

である。

大都会東京の一等地に勇気をもって生コン工場を創業した会社は、

その勇気や覚悟の分だけ、成功をエンジョイしたと思う。

そして、もう一つ言えることが、

・どんなに需要がなかったとしてもなければ困る

ということ。

「山奥だから、生コン必要ありません」

とはならない。

都会の生活を支えるためのインフラストラクチャは、

ほぼ、生コン。

目に見えている世界だけが、世界ではなく、

きっと主に見えていないところを担当しているのが、

僕たち生コンの役回りかもしれない。

ところが、商業ベースでものを考えると、

「そんな場所だと儲からない」

ってことになる。

これは、完全に二律背反している。

水の次に流通する生コンという材料。

昔なら、「どこに操業しているか」が最大のパラダイムであり、

「以上、終わり」

だったわけだが、

情報インフラ・IT革命の現在、

第3のパラダイムを作り上げることができるはずだ。

ただ、口を開けて、お上から降ってくる予算を食べているだけじゃなくて、

怖いけど、ぐっと現実をにらみつけて、産業全体を見つめてみる。

必ず、第3の生コン業態が生まれると僕は革新を持っている。

それは、誰が創るのか?

組合か?

全生か?

GNNか?

生コン青年部協議会か?

誰でもない、生コンにかかわる僕たちで作るしかないと思っている。

宮本充也

「秋さんさようなら」

「秋さんさようなら」

僕の会社の創業は50年前

創業者辰雄は非常にやんちゃな感じな人だと聞いている

やんちゃな人間の周りに集まるのも、

これまたやんちゃな人々で、

・プロレスラーがいて、邪魔になっていた車を素手でどかした

・気分と腕っぷしだけで仕事をしていた

・雨の日は朝から花札と酒

・現場に生コン届けるのにねじり鉢巻きと雪駄履き

・現場の人と乱闘騒ぎ

なんて、今では到底考えられないような話をよく聞いたものです

秋山實さんは、そんな長岡生コンの古き良き運転手さん。

気分屋で、なかなか配車係の言うことを聞いてくれず、

前任の中川さんや、その前の相澤さんはとても手を焼いていたものです

性格もとても難しく、新しく入ってくる運転手さんとの関係もうまくいったりいかなかったり

僕が昔「秋山さん15年勤務の表彰を県の生コン工業組合がしてくれますよ」

なんて言っても、

「いらない」

とにべもなく断られた記憶が今や懐かしい。

そんな秋さんだが、感動してしまうほどいいところもあった。

一番最後の思い出はこっそり僕が最近始めた運転手控室の掃除。

そそくさと片づけをしていると、無言でてきぱきと手伝ってくれた。

言葉はそんなに多くない、ただ感情で動く。

誰が見ていようとも、見ていなくとも、

ただ自分がやりたいことだけをやる人。

年に1回のNR会バス旅行では、僕の父のことを「おやじ」と呼び、

どれだけ慕っていたか、そしてどれだけめちゃくちゃなあらぶれものだったか、

そんな思い出話をしてくれていた。

63才という若さでこの世を去ったけど、

秋さんの存在感は、他の長岡生コンを支えてくれたみんなと同じように、

いつまでも風化することはありません。

腕っぷしと感情だけで動いた秋さん、

健康だけが取り柄だと思っていたけど、

夏には自分で作っていたスイカを届けてくれて、

誰からもらったスイカよりも断然、

秋さんの田中山のスイカは絶品でした。

冥途でもその姿勢貫いてください。

そして、長岡生コンをいつまでも見守ってください。

秋さん、また会いましょう。

宮本充也

「生コン屋のIT戦略2」

「生コン屋のIT戦略2」

僕の頭の中は今ほとんど生コンとITだ。

清々しいくらい集中している。

Power8社の山本さんという方が僕たち長岡生コンのIT戦略の軍師となっていて、

多岐に及ぶ顧問先のITにまつわる多くの経験が、

生コン屋のIT戦に活かされている。

 

昨日、定例のミーティングがあった。

・PV(ページビュー)数 5,050→7300

・ユニークユーザ 2,800→3200

・コンバージョン率 0.2%→0.2% (コンバージョン数/ユニークユーザ数)

僅か半月の間に驚異的な成長を示している。

 

成長を支える原動力は、

・更新頻度

・コンテンツ力

の2つだという。

あまりにも当たり前のことに愕然とする。

とにかくこの2点を意識して自らの生コン力を磨くしかない。

 

また、近日ホームページのあり方を一新する決断をした。

専門家あるあるだが、ついつい自分たちの会社に想いを寄せすぎてしまって、

会社名を拘ってしまう。

ただ、このホームページに訪れるであろう人たちの関心は、

長岡生コンではなく、

「生コン」

または、その周辺の知識・財である。

だから、ホームページの名前も潔く、

「生コン」

とすることに決めた。

(ちなみに、生コンクリートと検索する人の4倍「生コン」で検索されているようだ)

 

現在「生コン」で検索すると残念ながら当ホームページではなく、

全国生コン連合会が一番上に来る。

僕の尊敬してやまない阿部会長率いるZENNAMAのホームページを、

1ヶ月以内に抜くことにした。

わりと簡単そうである。

 

そして、 さらにユーザ目線を強化し、

訪れた人たちがすんなり目的の内容に触れられるよう、

弁護士ドットコムのホームページを参考にする。

現在のトップページだと、意味がわからないことに気づいた。

 

何事も一番になることは大変な作業だが、

生コン屋でIT一番になる

という物差しに変えるだけで、

じつはものすごく難易度が下がることに気づいた。

なにかとなにかを組み合わせるだけで圧倒的に個性的になるのだ。

 

水の次に世界で流通する生コン。

その1番になるのはとても難しいし、何を持って一番なのかも不明瞭だ。

ただ、生コンという価値をITを通じて全世界に発信すること。

それは、もしかしたら人生のうちに

「あ、一番かも」

という実感を得られるような気がする。

そんなわけで、もう一度言うが、

 

1ヶ月以内に検索ランキングでZENNAMAを抜き去る

生コン屋のIT戦略はまだ始まったばかりだ。

 

宮本充也

「IT×生コン」

あらゆる業界でイノベーションが起きている

僕には見えている

生コン×ITでイノベーションが起きることを

バカにされるかもしれませんが、

僕はバカなので、信じきっています

この考えと心中してもいいと本気で思っています

 

今日、静岡県の西部に仕事で行きました

僕たち生コン業界にも変化が起きています

僕の知っている生コン業界は

・年寄りが権力を持っている

・30台などまだ生まれていないと思われ見くびられる

・どがつく保守

・親方日の丸で新しいことは敵

・カルテル万歳で自分たちの利益のみを優先する

そんなんだから、各地区の生コン協同組合の運営主体は70台や80台の方達が

未だに主流になってリーダーシップをとっている

否定はしないが、彼らの青春と僕たち30~40台の青春は

パラダイムが逆

今の世代は

・バブルって食えるんすか?食ったことないっす

・経済のマイナス成長

・将来は悲観的

・人口は減っていく

・コンクリートから人へって言われて悪者扱いされています

です。

こんな僕たちからしてみたら、

多くの生コン組合の長老世代は

「過去の成功にしがみついている」

ようにしか見えません

いや、ほんと

まじですよ。

まあ、どうせブログの見方もわからないでしょうから(笑)

 

僕に言わせれば、

有り余る餌をただ奪わなかっただけで、

足りていればそりゃ秩序は保てていたでしょう

ただ、現在のパラダイムは何度も言いますが

同じ手法が通じないに決まっている

 

そんな停滞気味な産業構造の中に、

個人名は伏せますが、

なんと32歳の理事長が生まれるということがありました

僕の知る生コン業界にはあり得ない奇跡です

とても前向きな青年で

少しだけお兄さんなので、すごく応援したくなりました

目が輝いている

夢を語っている

 

僕たちがこれからの日本の産業を背負っていかなくてはなりません

過去は過去

その成功体験今の時代悪弊となる

だからこそ、常識を疑い

信じる方向へ飛び込んでいかなくてはならないのだと思っています

引き続き生コン×ITで突き進んでいきたいと思っています

 

宮本充也

「GNNの価値」

組織されて6年が経過しました
北は北海道から南は沖縄まで
生コン工場に関係する企業が同じ価値を共通項に、
まるで公園に集まるように、
義務感や強制感まるでなく集っている。

僕は生コン業界こそ、
中小企業の最も厳しい業態
だと感じています。
商売をする場所=商圏が限られています
JIS規格では
「1時間半までしか生コン持って行っちゃだめ」
と書かれています。
だから、顧客はその土地で買う生コンはその土地の工場以外からは買えません
産業構造は超下請け型
一般的な生コン工場は上部組織である協同組合が下ろしてくる仕事を
ただ淡々と請け負うことを要求されている
だから、
・イノベーションおこしたい
・新製品を世に出そう
・グローバル化を意識して新事業を展開しよう
なんてことは、不要とされています。

僕が15年前に入った生コン業界では、
そんなわけで、従業員さんたちの目はあまり輝いていなかった
・JISが要求しているものを作れ
・目立たない管理を黙々とやりなさい
・失敗は許されない
そんな状況で「目、輝いて」なんて言えるわけがない
勢い、17時以降が人生の中心になる。
人生の大半を使わないとならない仕事が面白くないってのは結構な悲劇

今、どうなっているか。
少なくとも僕の周りの生コン工場
僕の知っている生コン工場の方たちは
・顔が上を向いている
・笑顔が絶えない(時に行き過ぎの冗談をぶちこむ)
・目が輝いている

GNNは場所
強制もしなければ、義務でもない
ただ、行きたくなる、そんな場所
・そこに行くと面白そうだから
・チャンスがそこにあるから
・志の高い仲間に会えるから
だから、生コンに真剣な人たちが自然と集まってくる
そして、今では勉強会は17回を数え、
GNN会員も90を数えるようになった

断言できます。
楽しくないことはやらなくていい。
仕事は楽しいからこそ効率があがります。
無理してやるのは仕事じゃない。
そんなのは洗脳にすぎない、と

僕がGNNの会合に行くたびに、
意識の高い生コン関係者の人格に触れ
自分自身の内面を知り
本当に大切なものがわかる
仕事は楽しくなくっちゃならない。
そして、そんな姿を次世代に見せつけなくてはならない。
そんなことです

6月11日〜12日は長野で生コンの大人たちが誇りをかけて表現します

宮本充也

長岡生コンクリート
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